東ヨーロッパ潜入を果たした僕は、思いがけず訪ねたライプチヒの半日観光後、ベルリンへ。まず、ポーランド大使館とチェコスロバキア大使館に行き、片言のドイツ語でビザを取得した。今度は、大手を振って国境を越えられるぞ!
ベルリンの壁周辺では、商魂たくましく壁のかけらをたくさん売っていて、資本主義経済への息吹を感じた。
一度、西ベルリンとやらも見てみたいと思って、ポイントチャーリーに行ってみたら、「ここから出たら、東ベルリンにはもう帰って来られない」と言われた。壁が壊れても、まだ完全に国境は残っていた事を実感した。
ベルリン観光の合間の1日で、ポツダムに行き、ポツダム会談が開催されたツェツィーリエンホフ宮殿を訪ねた。ここで、アメリカ、イギリス、中国、ロシア首脳により、第二次世界大戦の戦後処理と日本の終戦が話し合われ、ポツダム宣言が発表された歴史の舞台である。
後のアメリカ大統領、JFケネディも、新聞記者としてポツダム会談に臨んでいたそうだ。でも宮殿は今はひっそりとしていて、歴史の流れを感じた。
そして、東ベルリンをでてポーランドの古都クラクフをめざした。クラクフは、中世の町並みがそのまま残っていて、クラクフの早朝、鐘楼から一斉に飛び立つ白鳩の群れは今でも眼に焼き付いている。
翌日、今回の東ヨーロッパ訪問最大の目的地、クラクフ郊外にあるアウシュビッツ収容所へ。
人間は、ここまで残虐になれるのだろうか。ユダヤ人を焼き殺したガス釜、虐待器具、そして無数に積まれた頭髪の山。
人間、一人ひとりはとてもやさしいのに、なのに間違いを犯してしまう、弱い存在なのだろう。
クラクフでのエピソード。町の小さな教会で、結婚式に出会った。祝福される新郎新婦。ほほえましい光景だった。一度、教会の中をのぞいてみたい。でも、中では結婚式のまっ最中。
入り口の階段脇に、もう一つ下り階段の入口があり、理解不能のドイツ語と矢印が書いてある。好奇心旺盛な僕は、矢印を見ると入ってしまう習性がある。
どんどん進んでいくと、中はやたらと暗く、ろうそくをたくさん灯してある。奥では数人が列をつくっている。なんだ、なんだ?
順番を待ってみて、やっと気がついた。ご遺体が安置されていた。お葬式だったのだ。狭い一方通行の列の真ん中で、引き返せない!
周りのみんな不思議そうな顔で、はるばる日本からやってきた参列者の僕を見ていた。
でも、こうなったらご焼香(っていうんだろうか)するしかない。見よう見まねで香典をお供えし、手を合わせた。
そして、故人にとっては意味不明かもしれないが、日本風に唱えてみた。「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と。(つづく)
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