小児脳外科医になる決心を固めた僕は、すぐさま神戸大学脳神経外科学教室を訪ねた。

  

徳島大学脳外科の当時の専門は、パーキンソン病や内頸動脈内膜剥離術などの高齢者向けの脳外科だった。当時、小児脳外科で最先端を行っていたのが、神戸大学脳神経外科だった。

  

神戸大学は、日本の小児脳外科の礎をつくった松本悟教授が指導していた。小児水頭症の治療の世界的権威でもあり、松本教授の指導の元多くの小児脳外科医が育っていた。関連病院にも、静岡県立こども病院、兵庫県立こども病院といった小児専門病院があった。

  

神戸大学脳神経外科教室を訪ねたのは、最終学年の夏だった。まず医局長との話だけだろうと思って乗り込んできたのだったが、徳島からの入局希望のいち学生のために、松本教授が時間をつくって下さっていた。松本教授は退官間近であったが、松本教授の最後の弟子になれたことは今思えば大変幸せなことであった。

  

松本教授は退官された後も、水頭症財団をつくって、研究助成などのボランティア活動を続けている。今でも僕のもっとも尊敬する医師の一人である。

  

その夜は医局長が、スイス料理のスイスシャレー、ジャズバーのソネ(Sone)に連れて行ってくれたが、異国情緒漂う神戸の夜は、田舎育ちの僕にはうっとりするほど幸せなひとときだった。

  

この時は、6年後にこの美しい神戸で大震災が起きるなんて想像すらしていなかった。