阿南から徳島への30kmは中学生には遠かった。また、ローカル線の汽車(!)はのんびり一人旅には良いだろうが、通勤には大層時間のかかるものだった。そこで、高校受験のために、中学から一人での自活生活をすることになった。

  

そこでも、親父の虎の穴教育法が貫かれた。中学生は、下宿屋のお母さんのいるようなところに下宿することが多いと思うが、自分で食べていく事を覚えるためとのことで、間借りに入ることになり、食事はすべて自分で準備することになった。

  

しかし、草をはんでいた幼少時代とは違って、徳島には食用植物は生えていない。また、料理の方法など、女姉妹などがいれば教えてもらえたかも知れないが、男系家庭で育った僕は、料理とはほぼ無縁の生活を送ってきたのだった。

  

ただ、最初はトライした。最初はみそ汁。みそ汁は、「みそのしる」だということで、だしもとらずに、沸かしたお湯にみそをいれ、そうめんを湯がかずに折っていれてみた。そのみそも白みそだったため、奇妙なにおいがした。胃の吐物のにおいだった。

  

いろいろトライしてみたが、食べられるようなものは、湯がいたほうれん草のおひたしぐらいで、このままでは飢え死にしてしまうと思い、自分の料理をあきらめた。それ以降、今まで自分で料理をつくることはほとんど無かった。

  

そこから、毎日外食の日々となり、来る日も来る日もおいしい食べ物を求めて、店を探求することになった。当時は、その後独身を終えるまでの20年あまりも、毎日毎日食べ歩きをすることになろうとは、知るよしもなかった。(妻帯者となっても食べ歩きの癖は直っていない。)

  

最初は、生きるために食べていたが、そのうち食べるために生きている自分に気がついた。そして、飢えることなく、高校受験を迎えることになった。