親父は教育には厳しかった。本や新聞、文字を書いてあるものを踏んだら、くわえていたようじで足を突き刺された。化膿して膿が出た。テレビは、電源コードをぶち切られ、アンテナコードを引き抜かれた。だから、コードの接続なんぞお手のもの。しかし、小学生から電気工事、よく火事にならなかったものだ。
だから、テレビはほとんど見せてくれなかった。だから高校の時だったか、松田聖子を知らなくて友達にわらわれた。
小学生の頃から、★を動かす仕事と思っていた医師をこころざした。で、田舎の子では超めずらしく、中学受験をすることになった。大学受験のだい兄ちゃん、高校受験の中兄ちゃんといっしょに受験勉強をし、トリプル合格を果たした。
ちなみに、僕は元巨人軍の水野雄仁選手とは、幼稚園の3年、小学校の6年と同級生。田舎だから、一学年は27人で、ずーっといっしょ。みんなは、かっちゃんとよんでいた。水野はあんこやのむすこで、あんこのふくろを良く運んでいた。それが、下半身強化になったんだろうね。しかし、池田のツタ監督はすごい。いなかの2番手ピッチャー、キャッチャーの水野を見て、「こいつは良いピッチャーになる」っていって池田入ったんだからね。親父は、水野の高校の時の後援会会長だった。
入った中学は、徳島大学教育学部附属中学。30キロ離れていたので、1時間30分かけて通学した。朝は6時おき。朝夕の汽車(徳島はいまでも電車はないよ!)はいい睡眠時間。良く寝過ごして、日和佐、牟岐まで行った。最初のテスト。いなかの小学校の1,2番の成績も、180人中160位。世の中、頭の良いやつはたくさんいるんだなあって。
ちなみに、神戸と縁があったのは、小学校6年の冬。もう一つ、甲陽学園中学を受験した。親父曰く、「もっとえらいやつは世の中たっくさんおるってことを知らしめるため」だった。受験会場では、「どこの塾?」ってきかれたが、「独学」っていったら笑われた。試験問題は、いまだかつて見たこともない問題ばかりだった。しかし、簡単な運動テストで、できていない子がいたのはびっくりした。これぐらい勉強せんと、甲陽には受からんのやねえって。結果は、受験生426人中、420番の不合格というさんさんたる結果だった。
世の中、えらいやつはたくさんいるなあ、って思い知らされた。田舎阿南の井の中の蛙、大海を知った、思い知らされた。そんな小中学時代だった。