昭和40年の暑い夏のある日。徳島の片田舎・阿南で4人兄弟の3番目として生をたまわる。男ばっかりの4人兄弟。父親が女の子欲しさに次から次へと勝負。でてくる、でてくる男の子ばっかり。4人であきらめた。要らん子から2番目。僕が出てきたときは、父親は寝込んだ。一番要らん子の弟が出たときは、首をしめたとも。その時、とりあげた産婦人科医が「お、お父さん、お気を確かに!!」と叫んだらしい。

  

名前を決めるのも、兄貴は2週間の期限を過ぎてまで、考えに考えた。下の3人は、漢字3文字をじゅんぐりにつかって、博文、貴博、貴文。とんぺい、ちんぺい、かんぺい、みたいなもん。親戚のおばちゃんがとってつけた。親まで名前を間違える始末。呼ばれるときは、「ひろふみ、たかひろ、たかふみ!!」全員呼ばいでもいいのに、あてずっぽ。

  

ほったらかしに育ったためか、二人が右利き、二人が左利き。そんなこんなで、僕は左利き。小学校で字だけ右に直されて、両利きに。絵やグラフを描くのは左、消しゴム左と、受験にはもってこい。また、両手をつかえることが顕微鏡で手術をする脳外科医としては、今考えると良かったのかも知れない。ほったらかしも悪くない。

  

阿南はすごーい、田舎。昼間は野山をかけずり回り、どろんこ、ずぶぬれ。草木の名前はしらんけど、食べれるかどうかはよく知ってる。なんでも一通り食べてみた。よくぞまあ、毒キノコなんぞ食べなかったものだ。でも、何回か死に目にはあったことを覚えている。それが、破天荒な人生を歩む素地を築き上げてきたのだろう。

  

夜は、阿南はまっくらけっけ。月の明るさを今でも良く覚えている。月のない日は満天の星空。でも★って、決まったところで運命のようにずっと同じ場所にあるんだなあって。

   

後に、医者をこころざすきっかけになったのは、「医者は人の運命を変える仕事だから、★を動かすような仕事なんだ!」と。医者になった後にこの考えは、間違えだったことに気づくが、とにかく、こどものころは、医者の仕事は★を動かす仕事と思っていたんだよ。ほんと。

  

星のイメージ