「高麗人参果実搾り・スクイーズ2200」の作成と発注も一段落し、後は出来上がりを待つのみ。そんな2005年5月頃、いつもの明石の地方公設市場での奇兵隊ミーティングに、福祉苑リーベの会 の内藤さん、中川さんが参加されました。
その時の奇兵隊ミーティングの話題は、その翌月6月に開かれる、第19回AMDAネパールこども病院支援のチャリティーボウリング大会の準備・相談会と、高麗人参果実搾りの販売のための戦略会議。
でも、初参加といっても、奇兵隊のメンバーはお二人をよくご存知。なぜなら、その数回前のチャリティーボウリング大会から、その会場でパン工場なないろのパンの即売会を行い、またこどもたちやその職員の方々も会のレクレーションとしてボウリングに参加してくれていたんですね。
内藤さんは、こどもの頃から両下肢が不自由で、車椅子での生活が中心でした。でも、その障害を逆に自分のバネにして、「できることを精一杯に」と思って今まで頑張ってこられました。
まずは、運転免許の取得。「車椅子だけでは、行動範囲が限られる」との思いからでした。頑張り屋さんの内藤さんは、遠くまで通い詰め、障害を乗り越えて、車という移動手段をゲット。
すると、その行動範囲は広がる、広がる!福祉関係の仕事がしたいと思っていた内藤さんは、勉強のために、知的障害のこどもたちが共同で作業をするボランティア団体に所属。
そこで出会ったのが中川さん。中川さんは、ダウン症のこどもを持つ親の立場で、福祉に所属していた方でした。
お二人は、福祉に対する考え方を話し合ううち、「障害を障害と捉えるのではなく、個性として捉え、自分でできることを伸ばしてあげよう」という気持ちで意気投合。
そして、二人で、平成10年ににじ作業所を設立。そして平成12年にはパン工場なないろ神戸店、翌年には同明石店を立ち上げ、利用者を増やしてきました。そして、こどもたちの立場にたった団体として、こどもたちやその親の方々から信頼を得てきました。
でも、福祉を取り巻く環境は、年々厳しくなってきています。今年度からは、障害者自立支援法(いわば、自分たちで頑張りなさいよ法)が施行され、障害者の負担増とともに、共同作業所などに対する行政の支援がどんどん打ち切られていっている状態。
でも、内藤さん、中川さんは、そんな厳しい環境でも、それを逆にバネとして頑張るタイプ。身を粉にして頑張ってきました。そして、「作業やパン以外に、何かボランティアの支えになる資金源は無いだろうか」と考えるようになりました。
そんな二人の話を聞いていた、我らが奇兵隊メンバー。
じゃあ、高麗人参果実搾りのプロジェクトも一緒にやろう!売上げから、福祉苑リーベの会 の運営も手伝おう!
四郎ちゃんも、明石の公設市場でパンの即売が出来るように手配(視察記事はこちら
)。
そして、その6月の第19回チャリティーボウリング大会から、AMDA兵庫 と福祉苑リーベの会 の共催にすることに(21回大会の記事はこちら )。
そんなこんなで、奇兵隊のメンバーに、内藤さん、中川さんも加わり、さらにパワーアップ!
そして、何回と会合を持つうち、内藤さんたちが持つ大きな夢、「にじの家」構想についてもかなえてみたい、と思うようになったのでした。
お二人が持つ夢、「にじの家」構想については、また次回に。
スクラップブックも見に来てね!http://scrapbook.ameba.jp/brain-int_book/
人気ブログランキング
なにとぞご協力を!
読んで頂けたら、ここをクリック
↓お願いしますm(_ _)m


