さあ、新しいメンバーが加わってパワーアップした奇兵隊。試行錯誤の末、健康ドリンク、高麗人参果実搾りのプロジェクトに辿りつきます。ようやく最終章、高麗人参果実搾り誕生秘話に入っていきます。


その前に、奇兵隊の定款や設立趣旨書の話がでましたので、当時のファイルから、設立趣旨書を記事にしますね。


次回、高麗人参果実搾り誕生秘話をお楽しみに。


有限会社奇兵隊設立趣旨

  奇兵隊隊長 江口貴博


ここ数年私は、以前勤めていた兵庫県立こども病院での縁がもとで、AMDAネパールこども病院(SCWH)の立ち上げおよび運営に携わさせていただきました。AMDA(アジア医師連絡協議会、菅波茂代表)は、国連カテゴリーIIに属する、日本の医師を中心としたNOで、数年前までは国際緊急支援(災害や戦争など)を中心とした医療を行ってきましたが、地域に根ざした医療援助を行おうという目的で、数年前から、ネパールやタイ、ミャンマー、ザンビアなどの貧困地域で病院を設立し、そこを中心に地域医療援助を行っています。AMDAネパールこども病院は、毎日新聞社会事業団のキャンペーンにより1998年11月に建てられた病院で、「阪神大震災の時お世話になったアジアの人々に少しでもお礼をしたい」という人々の善意の募金により5000万円の浄財が集まりできた、ネパールのこどもと女性のための病院です。そのときの中心的な働きをしたのが、兵庫県立こども病院外科部長の連利博先生で、現在もAMDAの兵庫県支部である、AMDA兵庫の代表として活躍中です。


私はAMDA兵庫の財務局長として、AMDAネパールこども病院の運営に携わっていますが、財務を担当して思ったのが、「病院の立ち上げはお金が集まるが、運営となると協賛が得にくい」ということでした。また、企業も不景気のあおりを受け、社会援助をする余裕がないのが現状です。何とか募金箱やバザーなどで収入を得ていますが、よりよい医療援助のためにはまだまだ資金が必要です。NOがより良い活動するためには、やはり資金が必要だと痛感しました。同時に、NOも企業や善意に頼るだけでなく、独自の収入を得る努力が必要だと思っています。企業の利益にも配慮しながら、NOの資金調達になる方法がないかどうか


また、ボランティアに携わる人の不足も問題であることがわかりました。ボランティアに行く医師や看護婦は、病医院の理解が得にくく、ボランティアに行っている間の給与はないばかりか、その職を失うことも多いのです。結局、病院をやめてボランティアに行き、無給でボランティアに携わり、帰国後にまた職を探す。しかし、こんな善意のみでは人的な支援は十分ではなく、こういった人々を支える体制も必要では、と考えるようになりました。


また、実際にネパールや他国の医療の現状にふれ、日本の医療の現状と比較すると、日本の医療にも問題が多いことに気づきました。日本の医療は本当に先進的なのかどうか、日本のこどもやお年寄りは本当に幸せかどうか。こどもの救急医療は儲からないということで、子供の救急をする病院は減りつづけ、小児科医不足が深刻になっています。尼崎では救急車に乗ったままたらいまわしにされ、亡くなったケースがありました。また老人たちの「畳の上で死にたい」といった希望は聞き入れられずに、病院での高額の高度(?)医療を受けた後、家族も疲れ果て、病院で寂しく亡くなっているのが現状ではないでしょうか。


そういった日本の医療の現状を少しでも良くする方法を探そう。みんなに喜ばれる医療を提供しながら、その収入で医療ボランティアの活動を支えよう。そんな気持ちに共感した人々により私たちの会社は立ち上がりました。職業や資格に関係なく、心をひとつにする人間が集まって作った会社、それが有限会社、いや無限会社「奇兵隊」です。

今日の写真、「虹がかかったAMDAネパールこども病院」

虹がかかったこども病院

    

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