AMDA兵庫立ち上げ当初の事務局だった、Y小児科。一身上の都合により、AMDA兵庫事務局を移転する必要に迫られた。1、2年の間という猶予期間を頂いた。

  

奇兵隊立ち上げ当初から、その事務局移転先を探してみたが、神戸中心部だと、かなりのテナント料が必要だという事がわかった。それは、月に数十万という、とても払えるような値段ではなかった。

  

そこで、仕事の合間をみては、神戸市や兵庫県による、ボランティア団体への支援施設や、ベンチャー企業への支援施設などを調べてみた。

  

ある日、新聞を読んでいたら、ベンチャー企業育成のために、神戸市が「神戸インキュベーションオフィス」(通称、KIO)という施設をつくり、新興企業に対し、割安でオフィスを貸し出すという記事を見つけた。

KIO玄関
   

場所は、ポートアイランド沖に新しく作られた、ポートアイランド2期。以前、関西国際空港行きの高速船が出ていた、K-CATという建物を改装し、新たにKIOとしてよみがえらせるというプロジェクト。

KIO全体写真
   

新聞を読むと、まだ空きテナントがあるとのこと。すぐさま、木曜日の往診の合間を利用して、神戸市役所の担当部局を訪ねてみた。

   

初めて神戸市の職員の方との話し合いだったが、奇兵隊の趣旨などを理解して下さって、親身に相談に乗ってくれた。公務員の人って、お堅いイメージかと思ったが、すごく優しい人だった。

  

でも、ベンチャービジネスとして支援を受けるためには、きちっとしたビジネスモデルを示さないといけない。慣れない書類作成だったが、大急ぎで書類を作成した。この時、兵庫県立こども病院の私設秘書としてご縁があった、Nさんの力が大きかった。(Nさんについては後日詳しく紹介しますね。)

  

ビジネスモデルとして描いたのは、健康食品の企画・販売と、バーニー・フィリップス氏と手がけていた、「超小型心電図による会員制健康診断」。これで申請したところ、みごと、神戸市のベンチャー支援企業に選ばれた。

ハートメモリー

奇兵隊があたったオフィスは、KIOの3Fの一番南の隅っこ。32平方メートルの312号室だった。

KIO奇兵隊入り口

   

東向きの窓から、大阪湾が一望できる。

KIO事務所、窓側
   

そして、この2月16日に、神戸空港が開港し、神戸空港からは車で2、3分の距離。

  

その場所に、AMDA兵庫の電話とファックスを設置。また、奇兵隊がサーバーを購入し、AMDA兵庫のホームページの管理を行なっている。(コピー、ファックスの奥にあるのが、サーバーですね。)

カラーコピー、ファックス、サーバー


AMDA兵庫のホームページ は、現在のAMDA兵庫広報担当のお二人、Iさんにより雛形が作られ、Tさんが更新を担当して下さっている。
   

「現地AMDAネパールこども病院のために、と寄付いただいたお金は、出来るだけ現地のために。AMDA兵庫の運営資金は、出来る限り自助努力で。」その奇兵隊設立当初の目標が、1、2年の期間を経て、少しずつではあるが形となって現れてきた。


でも、ここまでこぎ付けるためには、いろいろな困難があり、またその都度、救世主というべき人が現れた。

   

次回、奇兵隊設立1年目に迎えた、存亡の危機と、その救世主のご紹介へ。

   

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