美しく優しい歌声のフォークデュオ「ダ・カーポ」の、榊原まさとしさんとひろこさんから、AMDAネパールこども病院支援の申し出のお話。その不思議で奇跡的なご縁とは・・・・。


お二人は1973年のデビュー以来、ずっとお二人で作った詩を二人で歌い、その美しく優しい歌声と旋律で、さまざまなシーンで活躍されてきました。ひろこさんがヴォーカルと作詞、そしてまさとしさんがヴォーカルと作詞作曲という、まさに二人三脚。


しかし、10年前に奥様のひろこさんが変形性股関節症を患い、歩けなくなるという困難に。でも、お二人はそんな困難の中でも支えあい、両側の股関節の手術とリハビリを乗り越え、半年の闘病の末、再び歩けるようになり、活動を再開する事ができました。その闘病の様子を、「歩けるって幸せ!」(1997年、講談社)という本にまとめ、出版されています。


そして、手術から5年がたち、二人で支えあいながらコンサート活動をするうち、2002年NHK衛星放送の正月特集の企画が持ち上がりました。その番組のタイトルは、「ヒマラヤの詩 ダ・カーポ金色の光を求めて」


その内容は、ヒマラヤの麓ネパールにて、ダ・カーポのお二人が作詞、作曲をしながら歌で交流し、そして、二人で支えあいながらヒマラヤの山を登るという企画。2001年秋に現地でロケが始まり、ネパールの人々、こどもたちと詩で交流し、こころのふれあいをされました。


そして、ここからが不思議な縁。


さあヒマラヤの山を目指して、登るぞ!ひろこさん、頑張れ!っていう時に、ハプニング。まさとしさんの腰に激痛。ネパールの病院で診断の結果、どうやら腎臓結石。ネパールでは治療ができないとの事。


それで、まさとしさん、急遽日本で治療をするという事になり、飛行機に乗って日本へ。でも、ロケは続行しないといけない。


見送るひろこさんも不安そう。でも、そこは遠く離れても以心伝心のおふたり。まさとしさんは日本で治療に専念し、ひろこさんはお一人でヒマラヤの山に登り、金色の光に辿り着き、ロケは無事終了。


そして、横浜在住のお二人、まさとしさんが日本に帰ってきて入院したのが、僕の大親友のK先生の病院で、なんとK先生が主治医


お話をするうち、ネパールの話になり、K先生が、「僕の神戸の友人が、阪神大震災の時の支援のお礼で、ネパールにこども病院をつくるプロジェクトに参加し、ネパールのこどもたちの支援をしていますよ」と。


ネパールの病院でお世話になり、またネパールのこどもたちの純粋なこころにふれたお二人。是非、そのこどもたちを支える活動をしたいと思われて、それでご縁ができた、という訳です。


僕が静岡でK先生と出会ってなければ、また最初に一緒にダイビングに行ってなければ、まさとしさんが患った病気が泌尿器科疾患でなければ、入院した病院が別の病院だったら、主治医がK先生で無ければ・・・・、と考えると、本当に不思議で偶然のご縁だなあって思います。


でも、これも偶然ではなく、神様が与えてくださったご縁なのでしょう。ヒマラヤの神様かな。

   

今日の写真、「カトマンズの街とヒマラヤの神々」

カトマンズとヒマラヤ

  

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