1995年1月17日午前5時46分。その日も、月曜夜からの、当直明け間近の、当直中だった。今日も伊丹の病院で月曜当直翌日。


奇しくも、病院が違う以外は、まったく同じ状況だ。当直先の医局でこうしてブログ記事を打っていると、震災直後の様子、そしてこの11年の出来事が、走馬灯のように思い出される。


震災の直前まで、まさかこんな事が神戸やその近隣で起こるなど、考えてもみなかった。それが、一瞬のうちに、今まで見てきた風景が激変した。自然の力の前では、人間の造ったものは無力だ。


震災直後、寝ていた当直室の隣の医局は、医学書をつめた本棚が折り重なるように倒れていた。もし、あの中に居たとしたら、もしかしたら・・・。


震災では、6434人もの人が亡くなられた。医師として、多くの方の死と向き合った。多くの方の死と直面することで、命の尊さや絆の深さを教えられた。


また、有事の時の人間の強さも感じた。困ったときに助け合う姿、一生懸命、命を助けようとする姿。倒壊した家での救助


けが人を運ぶ姿


必要な物資がない中で、譲り合う姿。「まずはこどもから、まずはおじいちゃん、おばあちゃんから」と。

まずはこども、おばあちゃんから


水の配給や、コンビニなどで、整然と列をつくって並ぶ姿。人間ってすばらしい。

整然と列をつくる姿


ねこやいぬ、動物も同じ被災したもの同志。みんな、すべてが助け合って生きてきた。

ねこも被災、おばさんと


日本全国、世界中からさまざまな援助を頂いた。人間って、ありがたい。困ったときこそ、人の優しさが良くわかるものだ。

スイスのレスキュー隊と犬


そして、神戸はやさしい街になった。多くのボランティア団体が立ち上がった。人は、悲しみが多いほど、人には優しくなれるのだと思った。


そして、そんな優しい気持ちを集めて出来たのが、AMDAネパールこども病院でもあった。

虹がかかったこども病院


震災により、自分も死んでいてもおかしくなかった。震災を経験した人、すべての人がそうだった。「生かされた命を精一杯に。亡くなった方の分まで、精一杯に生きよう。」被災した人たち、みんながそう感じてこの11年を生きてきた。


今、この11年を振り返ってみて、もっと出来たことは無かっただろうか、まだやらないといけない事はないだろうかと、自問自答している。


この震災11年を一つの節目に、また新しい1年を精一杯に生きていこう。


そう誓って、1月17日午前5時46分、当直先の医局で一人黙祷を捧げた。


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