人間、明るく幸せだらけの人はほとんどいない。みんな、悲しいことやつらいことを心に持っているものだ。


僕が毎週木曜日に往診に行っている一人暮らしの96才のおばあちゃんは言う。「人生、幸せ半分、悲しみ半分」と。


だが、道化師はその悲しい部分を見せてはいけない。どんなにつらいことがあっても、こどもの前では明るく振る舞わなくてはいけない。


道化師(クラウン)の中で、悲しみを表現した道化師がピエロ。ピエロの顔に描かれた涙の意味は、「馬鹿にされても、人に愛されたい」という気持ちがこもったものだという。ピエロは馬鹿にされるのが仕事。失敗をみんなに笑ってもらう。悲しみを押し隠して。


画家のルオーは、そんな道化師の悲哀を、舞台裏の道化師 を描くことで表現した。


また、僕が15才の頃、1980年のさだまさし主演の映画に、「翔べイカロスの翼」 という映画があった。さだまさしファンだった僕は、当然のように封切を見に行った。多感な時期だったためか、映画を見た後号泣したことを覚えている。


この映画は、キグレサーカスであった実話を元に映画化されたもの


23才のカメラマン志望の青年、栗山徹。キグレサーカスの写真を撮るうち、その世界に魅せられ、自分もサーカスの世界で生きていくことを決意する。そして、笑いの原点であるピエロを志願。一からの新しいスタートで、一生懸命訓練し、難しい技を覚え、メイクも自分で工夫しながら晴れ舞台に上がっていく。


やがてこどもたちは、「ピエロのクリちゃん」と呼ぶようになり、みんなの人気者に。そんな魅力が広がり始めたときに、事故は起きた。昭和52年11月、綱渡りの最中、テントの隙間からの風に吹かれ、落下。青春をすべてピエロに賭けた28才の青年の壮絶な最期だった。


ラストシーンでの主人公の最期の言葉が、「ピエロ、ピエロ・・・・こどもたちには知らせるな。」


そしてエンディングに、さだまさし作詞・作曲の「道化師のソネット」 が流れる。


笑ってよ君のために 笑ってよ僕のために

僕達は小さな舟に 哀しみという荷物を積んで
時の流れを下ってゆく 舟人たちのようだね

君のその小さな手には 持ちきれない程の哀しみを
せめて笑顔が救うのなら 僕は道化師になれるよ

笑ってよ君のために 笑ってよ僕のために
きっと誰もが 同じ河のほとりを歩いている


僕等は別々の山を それぞれの高さ目指して
息もつがずに登ってゆく 山びと達のようだね

君のその小さな腕に 支えきれない程の哀しみを
せめて笑顔が救うのなら 僕は道化師になろう

笑ってよ君のために 笑ってよ僕のために
いつか真実に 笑いながら話せる日がくるから

笑ってよ君のために 笑ってよ僕のために

笑ってよ君のために 笑ってよ僕のために


クリニクラウン も、悲しみを押し隠して病気のこどもたちと向き合うことになるだろう。それは、医師も同じ。



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