僕がAMDA兵庫の財務担当として悪戦苦闘している中、毎日新聞社 のキャンペーンの呼びかけによる、「震災のお礼をしましょう!ネパールのこどもたちを救いましょう!」という呼びかけに、多くの賛同が寄せられていた。
毎日新聞社 と毎日新聞大阪社会事業団 のキャンペーンの名前は、「飢餓・貧困・難民救済キャンペーン」。当時、阪神支局長だったF氏が先頭にたち、すばらしいキャンペーンをはって下さった。何度もF氏とお会いしたが、その熱い情熱にいつもこころが揺り動かされる感じがする、本当に熱い人だ。最近では、介助犬のキャンペーンをも手がけ、立法化の立役者となった人でもある。
キャンペーンの一環として、1996年に「明日を行きたいーヒマラヤのふもとから」を紙面に掲載、F氏を初め、多くの記者たちが一生懸命情報をかき集め、紙面で熱く語ってくださった。前年の阪神淡路大震災で海外からも多くの救助の手が差し伸べられ、ネパール人医師も救助に駆け付けたことから、「今度はお返しをしよう」と病院設立を呼びかけた。
すると、それに賛同する多くの支援者が現れた。
大阪ガス小さな灯運動 、松下電器産業労働組合 、東京渋谷ライオンズクラブ 、大阪よどがわ市民生協 などなど、あげたらきりがないほど。
また、特記すべきは、大きな企業だけではなく、被災者からの一人一人が集まった多くの募金件数だ。募金は1万件にも及んだ。
だから、このAMDAネパールこども病院は、阪神淡路大震災の被災者の一人一人の気持ちがこもった病院なのだ。
被災者一人一人のこころの中には、6443人の亡くなった人たちから受け継いだ遺志、また生かされた自分の命を精一杯という心からわき上がる意思があった。
今こうしてその設立経緯を思い出す度、一人の被災者として震災後皆様から頂いた援助の数々を思い出す。そして同時に、このAMDAネパールこども病院を何としても守らないと、という強い意志がわいてくる。
今日の写真、「AMDAネパールこども病院」