阪神淡路大震災では、6434名もの方が亡くなられた。人口からすると、200人~300人に1人が亡くなった事になる。
震災直後は、神も仏も無いものかと罰当たりなことを考えそうになった。それぐらい、悲惨な状況だったから。でも、やがて、こう考えるようになった。神様や仏様が本当にいるとしたら、この震災は何かを教えようとしたのだろう。この震災から、何かを学べと言われたような気がした。そうしないと、悲しさに埋もれてしまうから。
実際、神戸はすごく優しい、思いやりのある町になった。いろいろなボランティア団体が立ち上がり、自分たちの力で支え合おうとした。人間の強さと優しさを感じた。
自分についても、死んでいてもおかしくなかった。震災の時、自分は生かされたと思った。生かされた命、何かを成し遂げよと言われたような気がした。
今何をなすべきかと考えた。大学院生という身の上。小児脳外科医を志したのなら、その道を精一杯に突き進もう。
そこから、残り2年の大学院生活は学問に集中した。やると決めたらトコトンやる性格。
まず、日本脳神経外科学会の専門医試験を受験。作ったノートは背丈を越えた。1996年に脳外科専門医となった。
書き物は苦手だったが、業績を論文や本に残した。本3本、主論文11本、共著論文17本と、書きまくった。
博士論文も2本作った。Endscopy of spinal cord and posterior fossa by a lumbar percutaneous approach: Endscopic anatomy in cadavers と Endoscopy of the spinal cord : Cadaveric study and clicical experience. 1998年神戸大学医学博士、大学院卒業。98年ドイツフランクフルトの国際学会で業績発表。
気がついたら、玉木教授から兵庫県立こども病院の脳神経外科長として赴任するよう指名された。32才だった。