卒業旅行は、国家試験勉強のため準備する時間もなく、またお金も底をつきかけていたので、バックパッカースタイルで、プライベートルーム(&たまに野宿)などを利用した徹底した貧乏旅行だった。
準備できたのは、フランクフルトinで、ウィーンoutのエアロフロート(世界一安いロシアの飛行機)の航空券のみ。もちろん、すべてフィックスという格安航空券。ホテルなどの宿泊は一切とらず。後は、2週間という期間のみで全くの真っ白旅程表。
飢えをしのぐための食料、生活用品一式をどでかいバックに詰め、いざヨーロッパへ。目指す地域は、4ヶ月前にベルリンの壁が崩壊したばかりの、激動の東ヨーロッパ。
ただ、当時東ヨーロッパの国々は、すべてビザが必要で、日本の大使館でビザを取得するか、隣国の大使館でビザを取得して入国しなくては行けない。ビザも用意する暇もなかったので、もし国境越えが無理だったら、ドイツのロマンチック街道をのんびりオーストリアまで行こうかとも考えていた。
まず、エアロフロートはすごくちゃちいつくりだった。簡易椅子のようで、いつでも軍事転用できるように、すぐ取り外せる造りらしい。座り心地は最悪で、また、真ん中通路、両側3人がけの小さい飛行機だったので、揺れに揺れた。どうりで安いわけだ。
飛行機は、モスクワでトランジット。着陸の際、飛行機が大きな音を立てて一旦着陸後、ワンバウンド、ツーバウンドして再着陸。こんな荒い運転の飛行機は初めてだった。周囲の人は、着陸後何人か吐いていた。
モスクワの空港は、薄暗かった。電気の節約だったのだろう。また、すべてロシア語。全くわからないまま、前の人について歩いて出た。好奇心旺盛だったので、いろいろなところを見ようとある通路を出ようとしたところ、後ろから大きな声で呼び止められた。振り返ったら、銃口が向いていた。素直に手を挙げた。撃たれずに済んだ。
フランクフルトについたのは、真夜中だった。4月のフランクフルトの夜は寒くって、凍えそうだった。かといって、泊まるホテルもない。とにかく、中心駅に行こう。
持っていた東ヨーロッパの地球の歩き方によると、東欧にビザなしで入るにはまず西ベルリンに行き、東ドイツの一日ビザを取得し、ポイントチャーリーを通って歩いて東ベルリンに入国し、東ドイツで数日ビザに変更する、と書いてあった。それ以外の国境では入国できないと書いてあった。
中心駅で時刻表をみたら、西ベルリン行きは翌朝までない。このままでは凍えてしまう。また、ロマンチック街道に行き先変更しても、近すぎで寝てる暇はない。
よくよく時刻表を確認したら、東ドイツのドレスデン行きがある。それでライプチヒまで行ければ、遠距離夜間特急なので、凍えずに寝られる。ただ、国境でビザが取れればの話である。地球の歩き方によれば、無理だと言うことになる。
「でも、ベルリンの壁も無くなったし、国境でも取れるのでは?」と考えてみた。片言のドイツ語で、駅員に聞いてみた。親切な駅員さんで、「国境でも取れるよ」らしきことを言う。(正直、完全に理解はしていなかったので、自信はなかった。)
この駅員さんの言葉を信じて、国境まで行こう。だめなら引き返してこよう。とにかく、凍えずに眠るにはこれしかない。と言うことで、ドレスデン行きで国境をめざすことになった。
電車は、未明に国境駅についた。暫く止まったままで、薄気味悪かった。暫くすると、東ドイツ国軍らしき軍人が3人、銃をもって入ってきた。荷物をあらためられた後、ビザのないパスポートを出してみた。何かドイツ語で大きな声で話しかけて来たが、理解できない。すると、別の人を呼びに言った。
その人は、また大きな声でドイツ語で話してきた。札束をみせながら、まくし立てられた。
これは、賄賂の要求か?とにかく、地獄の沙汰も金次第ともいう。持ち金は少なかったが、命には代えられない。高額紙幣を出してみた。すると、穏やかな顔になった。やはり賄賂の要求だったか。
するとその人は、僕のパスポートを返してくれた。パスポートには東ドイツのビザ。と同時に、90DMのお札。ビザ取得代のおつりだった。
とにかく、東ヨーロッパに潜入することに成功したらしい。