個々の文を見ながら、パラグラフの構造を確認しましょう
第1文If history is regarded as just the record of the past, it is hard to see any grounds for claiming that it should play any large role in the curriculum of elementary education.「もし歴史が単なる過去の記録であるとみなされるならば、歴史が小学校教育のカリキュラムの中でいかなる大きな役割を演じることを主張するいかなる根拠を見いだすことも難しい」。この文は「なぜそうだと言えるか?」という疑問を喚起するのでtopic sentenceの可能性があります。ちなみに、結果的にこの文はtopic sentenceではないと判明するのですが、いずれにせよ少なくとも次の文がsupportのような役割を果たしていることにかわりはありません。さらに付け加えるなら、日本語に訳してしまった内容だけを頭に入れておくことをして、もとの文構造(文の響き)を忘れると、あとで苦戦することになります。
第2文The past is the past, and the dead may be safely left to bury the dead.「過去は過去であり、死者をして死者を葬るままにしておくのが無難であるということになるかもしれない」。たしかにsupportのような役割を果たしています。この文でthe dead may be safely left to bury the deadという表現が、意味が取りにくいと感じる方が多いかと思いますが、この表現は新約聖書のマタイ伝8章22にあるイエスの言葉Follow me; and let the dead bury their deadを踏まえた表現と思われます。そのために妙に古くさい英語になっています。この文章を書いた人が、自分が教養のある人間であることを示したいという願望が、難解な表現を生んでいると言えるかもしれません。日本人でも、自分が教養あることを示そうとしてやたら難解な表現をしたがる人はたくさんいますよね。
第3文There are too may urgent demands in the present, too many calls over the threshold of the future, to permit the child to become deeply absorbed in what is forever gone by.「現在、緊急にすることが求められていることはあまりにも多く、将来の敷居越しにもあまりにも多くの要求があるので、子供に永遠に過ぎ去ってしまったものに深く夢中になるままにさせておく訳にいかないということになるであろう」。この文も第1文をsupportしているように思われます。ここまでくると、第1文がtopic sentenceと思ってかまわないのではないかと思われるのですが、この次の文から明らかに第1文をsupportしていない文がくるのです。そして、第1文から第3文までを総合した全体を見てください。全パラグラフの半分未満ですよね。このようなときには、実質的なsupportではなかったと判断するわけです。結果的に第1文から第3文はtransition sentencesであると判断されます。
第4文Not so when history is considered as an account of the forces and forms of social life.を見てください。この文を見たときに、それより前の議論が第1文を中心にまとまっていることを押さえた上で、第1文の文構造(文の響き)が頭に残っていないとnot soで戸惑ってしまいます。それに対してこの文のhistory is considered asの部分が、第1文のhistory is regarded asに対応しているとわかるならば、not soはit is not hard to see any grounds for claiming that it should play any large role in the curriculum of elementary educationであることがわかります。それらを踏まえてこの文の意味を取ると「歴史が社会生活の影響力のあるものと形態を説明するものとみなされるときにはそうはならない」となります。この文は「どうしてそうだと言えるのか?」という疑問を喚起し、その疑問の解消を残りすべての文で行っていることがわかるので、topic sentenceであると判断することができます。この文でもわかるように、transition sentencesがあるおかげでこのtopic sentenceは遙かにコンパクトで結果的にインパクトのあるものになっています。ちなみに第1文でifであった接続詞が、ここではwhenになっているのですが、これはwhen以下に示されている場合は間違いなくあることを示そうという著者の意図が見えます。I’ll give you this DVD if you pass the exam.と言うのと、I’ll give you this DVD when you pass the exam.と言うのでは、後者の方がyou pass the examは普通に実現すると思っている様が伝わりますよね。
第5文Social life we have always with us;を見てください。この文はsocial lifeという目的語が前置されている構造になっています。「社会生活は我々とともに常に存在する」。
第6文the distinction of past and present is indifferent to it.「過去と現在の区別は社会生活にとっては無関係である」。itはsocial lifeを指します。この文がセミコロン(;)で第5文と意味的に関連づけられていることを考慮すれば、簡単に気づけます。
第7文Whether it was lived just here or just there is a matter of slight moment.「社会生活がまさにここで営まれたかまさにそこで営まれたかは大して重要性のないことである」。この文のitもsocial lifeです。
第8文It is life for all that;「そのようなことがあっても社会生活は生活であるのである」。この文もitはsocial lifeです。
第9文it shows the motives which draw men together and push them apart, portrays what is desirable and what is hurtful.「それは人間を集合させたり、離散させたりする動機を示し、何が好ましく、何が害があるかを説明しているのである」。結果的に、ここまでがsupportの前半部分であることがわかります。それはtopic sentenceの疑問をどのように解消しようとしているのかということを考えることによってわかることです。漫然と「とりあえず日本語を貼り付けながら大事そうな文を探す」などということをしていては、絶対にわからないことと言えるでしょう。
第10文Whatever history may be for the scientific historian, for the educator it must be an indirect sociology – a study of society which reveals its process of becoming and its modes of organization.を見てください。この文はかなり難解です。まずwhateverからhistorianまでは、その全体を取り除いても、完全に意味が通る文が残るので、名詞節としてではなく副詞節として機能していることがわかります。つまりこのwhatever節はno matter whatの譲歩を表す節で表現することができるものなのです。そうするとmayも譲歩を示す意味で使われていることがわかります。the educatorは、この文だけを孤立させて考えると「教育学者」か「教育者」のいずれかと考えてしまいますが、この文がtopic sentenceのsupportであることを踏まえると、the educatorは「初等教育に携わる人」の意味であることがわかります。このような文こそ、孤立させて意味を考えないようにすることが大切です。さらにan indirect sociologyが難解です。私が目にした受験参考書や、入試問題正解、塾・予備校の訳例はいずれも「間接的社会学」になっています。これは日本語に置き換えることが意味をなしていない訳例です。まずsociologyは「社会学」の意味で使うならば必ず不可算で使うはずです。ところがここではaがついているので「sociologyの性質を持ったあるもの」という意味で使われています。ちょうどbeautyが不可算で使って「美」という抽象概念を指すのに対して、a beautyは「beautyの性質を持ったあるもの」で、「美人」や「美男子」や「美しい物」などを表すことができるのと同じことです。ここでは直後のダッシュ(-)に注目して、そのあとの言い換えを意味のヒントとするべきです。私が「スラッシュを入れてとりあえず部分的に日本語に置き換えていく」という読み方が大嫌いなのも、このような例を山ほど知っているからです。そのようなばかばかしい「スラッシュ方式」では、この文は絶対に正しく読めないでしょう。a study of society which…で言い換えていますから、「社会についての研究」と意味を取りそうですが、ここでパラグラフの構造というコンテクストが物を言います。初等教育という小学校の教育場面で「社会についての研究」などをするでしょうか?実は、ここでも英語の多義性が物を言っているので、studyには「勉強」の意味もあります。ここでは小学生が「社会について勉強する科目」なのです。ちなみに、英語のsubjectは「学科」を意味する一方で「科目」の意味もあります。そのようなことを背景にしてここでの特別な意味を成立させていることを理解することが大切です。以上のことを踏まえてこの文の意味をとると「歴史家にとって歴史が何であるにしても、小学校の教育に携わる人にとっては、歴史は間接的に社会が学べるもの(社会の生成と社会の組織形態を明らかにする、社会について学べるもの)であるはずである」となります。そして、このことがどうして言えるのかをsupportしているのが残りの文なのです。その残りの文も実はこの文の意味を理解するのに役に立っているのです。そのところを次からの文で確認しましょう。
第11文Existing society is both too complex and too close to the child to be studied.「現実の社会は子供にとってあまりにも複雑でしかもあまりにも身近すぎて学習することはできない」。この文のstudiedと過去分詞で使われている単語が第10文のstudyと関連していることを読むことが大切です。この文自体はそれほど難解ではないはずです。しかし、最初読むときにはこの文と第10文との関係がすぐにははっきりしません。次の第12文でこの文章全体が終わりになることによって、結果的にどのような関係になっているかがわかるのです。
第12文He finds no clues into its labyrinth of detail and can mount no heights from which to get a perspective of its arrangement.「子供には現実の社会の詳細の迷宮に分け入っていく手がかりはいっさい見いだせず、既存の社会の配置に関する視点を得られるような高みに登るようなことはできないのである」。ここまできて、第10文との関係を考えると、次のようなことがわかります。現実の社会は、小学生にとっては学習対象に適さないのです。そうなると、子供が社会の基本的な仕組みを学ぶ対象は、過去の社会しかないはずです。ですから、小学生と小学生の教育に携わる教育者にとって、歴史は間接的に社会を学べるものなのです。このように謎が氷解するのです。
以上でこの文章は終了です。この1パラグラフだけの文章は、第1文から第3文までがtransition sentences(introductory sentencesと考えてもかまいません。いちおうこの抜粋されている部分が文頭から抜粋されているとは判断しがたいので、ここではtransition sentencesとしておきます)で、第4文がtopic sentenceで、第5文から第12文がそのsupportであることがわかりました。さらにsupportは第5文から第9文の前半部分と、第10文から第12文の後半部分に分かれることもわかりました。