今朝の瞑想で気づいたこと



私はいろんなものに手を出しては
すぐに飽きて手放して
結局何にも身についていないみたいな
ところがある


そんな自分がすごく嫌になって、
情けなくなって悔しかった



何をするにも、
何かひとつのことを
コツコツ続けていくのが
一番の上達への近道なのに、



私は何をやっても中途半端で
続けられない



と自分を責めていた。



しかし、それを駄目だと
ジャッジしてるのって
エゴじゃない?
と気づく



けど真我って



私が何をしても何をしなくても
良いとか悪いとか
責めたり諭したりしないよね



何をしても受け入れてくれるよね





それでいいんだよね



そう視点を変えてみると
ホッとする
それが今日の私の真実であり

私の原点





そこに少しとどまって、
ソースのエネルギーを感じて
そこから私の今日の一日が始まる





何も解決はしてないけど、

それはそれで、

今から自分はどうしていく?



何が心からやりたいこと?
何が欲しくて何が欲しくない?
そういう自分の内側の欲求
そういうことに常に気づいていること

それが一番大切な気がする

 


そのまま自分を責め続けても
思考とエゴの思惑にハマっているだけ
ただただ辛くなるだけで
何の解決にもならない



そういう悟りとは反対に向かう
エネルギーにはいちいち構わないで、




常に今ここにいることに気づいて、

自分を気分良くし続けてあげたい




今世では、とことんエゴが強い
私という人間に生まれてきた


それは、そうするのが一番
私にとって成長に繋がるからだと思う



悟りにたどり着くには、
本当に難しい、
ハードモードな人選。





なんでもかんでも急いでしまう。
いつも何かに駆り立てられて、
焦って時間に追われて
早く早くしなければ、となってしまう。
一刻も早く悟らなければと。



モモの時間泥棒に
時間を盗まれた人のように




ゆっくりのんびり行くのが
結局は一番なのかもしれないけど、
私は早く動いてしまうタチなんだよね。





じゃあもういいじゃん
エゴが強くて
感情的で
飽き性で
長続きしなくて
つい早くしたくなっちゃうまま、



悟ってもいいんじゃないの?





もちろんその途中経過で
性格は変わるかもしれないけど、


生まれ持ったものって
そんなに変わらないんじゃないかな?









私はそういう自分の性質を認めます。

良いも悪いもジャッジせず

そのままの自分で

悟りへの道を歩んでいきます。











この街は瞑想者だらけだから
瞑想がとてもしやすい。


しかし
瞑想は悟りへの助けにはなるけど、
悟りに直接導いてくれるものでは
ないと思う




普段の生活をしつつ、
いかに今ここに在ることを
意識し続けられるかが重要だと思う



むしろそれさえ出来ていれば
他には何も必要ないのだと思う。





しかし私にはそれが難しいから、
ツールとして瞑想を使って
自分の奥深くに戻り
立ち返ることが必要になってくる




ヨガも同じ。

身体を整え、今その時の
身体の声を聞くことで
心も同時に整い、
本質に戻ることができる。




常にヨガ後、瞑想後みたいな
落ち着いた心でありたいな。





とりあえず、こんなことを
つらつら書くくらいに
今日の心はモヤモヤしてるのです。