黒田官兵衛ゆかりの地~姫路 | いぶらひもブログ

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昨日は、姫路城に行こうと思い立って行ってきました!

今は大河ドラマ「軍師官兵衛」の影響で姫路は凄いですね~
街中には、官兵衛ののぼりや、バス、グッズショップ、展示会などなど賑わっているみたいです。
どこを見ても官兵衛ばっかり!

自分も大河ドラマが始まる前に、司馬遼太郎の「播磨灘物語」を読んで官兵衛に興味を持っていたので
行って参りました(°∀°)b

行った場所は、姫路城と書写山 円教寺です

まずは姫路城

拡大は写真をクリックして下さい


最初の城門


最初入って行くと何か騒がしいと思ったら、城の前でマラソン大会の真っ最中!
こんなところでマラソン大会があるんだとびっくりw




入ってすぐ見える姫路城の天守閣
現在は天守閣の改修中でベールに包まれておりますw
来年2015年の春に完成予定だそうです!
なので天守閣は入れません(T▽T;)



400円を払って入城b



さすが姫路城立派な石垣です
壁には銃などで城を守る穴がたくさんあいてます






少し近づいてみる天守閣



若干見づらいですが、十字紋の鬼瓦
これは官兵衛がキリスト教徒だった名残みたいです
官兵衛は生涯、正室のみ愛し側室を持たなかったのも生粋のキリシタンだったからと本で読みました。
この時代はキリスト教が入ってきたばかりで、多くの人が流行りに乗じて入信したみたいです。




やっぱり空はどんよりと黒い雲が…
西の丸に行く途中の天守閣



続いては西の丸へ!
こちらは公開されており見学ができます。
姫路城の西の丸は、徳川家康の孫娘「千姫」が城主本多忠政の嫡男忠刻に嫁ぐ際、その化粧料で元和四年(1618)に造営さ れました。その昔、西の丸は鷺山と呼ばれ、出城がありました。千姫輿入れの祭、鷺山出城を削って上部を平らにし、岩山の削り残しを多聞櫓の馬踏みに利用されました。




西の丸はまだ新しいということですね~
庭園には桜の木がたくさん生えており、春には綺麗でしょうね

江戸幕府以前の姫路城城主 官兵衛は14代目

城主 入城年 城主 入城年
1 赤松貞範 1346年貞和 2年) 10 小寺則職 1519年永正 16年)
2 小寺頼季 1349年 (貞和5年) 11 小寺道慶 1531年享禄 4年)
3 小寺景治 1352年文和 元年) 12 黒田重隆 1545年天文 14年)
4 小寺景重 1357年延文 2年) 13 黒田職隆 1564年永禄 7年)
5 小寺職治 1403年応永 10年) 14 黒田孝高 1567年 (永禄10年)
6 山名持豊 1441年嘉吉 元年) 15 羽柴秀吉 1580年天正 8年)
7 赤松政則 1467年応仁 元年) 16 羽柴秀長 1583年 (天正11年)
8 小寺豊職 1469年文明 元年) 17 木下家定 1585年 (天正13年)
9 小寺政隆 1491年延徳 3年) 18 池田輝政 1600年慶長 5年)


西の丸の中へ
廊下も綺麗~




城を攻められた際に守る、武者返しと言われる造りなど工夫がされてあります。
写真ではないですが…w熱湯とか石を投げるとかもw



上まで上るのに凄く急な階段を上って行きました。
お次は、たくさん居室があります。
板の間で、とても綺麗な造り




羽子板が展示してあります。
順路一番奥の畳の部屋では等身大の人形で、遊びをしていた所を再現してありました。




西の丸を後にし、順路を進んで行くと
官兵衛の展示品が置いてある歴史館へ!

平成26年1月12日(日)~平成27年1月10日(土)まで公開中

こちらは官兵衛の鎧や兜
兜はお椀の形が特徴


黒田二十四騎が勢揃い
これは迫力がありました
この前の立派な角の鎧は、官兵衛の長男、黒田長政の鎧です。
大河ドラマではまだ子どもの松寿丸、こんな立派な鎧着るんだね~


歴史館、天守閣の前にある「お菊井戸」
会談話で有名な「一枚、二枚、三枚、四枚、五枚、六枚、七枚、八枚、九枚・・




 約450年前の室町時代中期、姫路城執権の青山鉄山(てつざん)は、城を乗っ取ろうと、城主を増位山の花見の宴で毒殺しようと企てていました。
 それを察した城主の忠臣、衣笠元信(きぬがさもとのぶ)は、愛人であるお菊を鉄山の屋敷に奉公させて企みを探らせ、鉄山の息子小五郎から父の陰謀を聞き出しました。
 この知らせを聞いて元信は、花見の宴で城主を毒殺しようとする鉄山の陰謀を阻止することができました。その後もお菊は、鉄山の屋敷で動向を探り続けていましたが、鉄山の同士町坪弾四朗(ちょうのつぼだんしろう)に気づかれてしまいます。
 ところが、以前からお菊に好意を持っていた弾四朗は「黙っている代わりに自分のものになれ」とお菊に言い寄りました。しかし、お菊はその条件を聞き入れず、弾四朗に折檻されます。それでも強情に言うことをきかないお菊を憎らしく思うようになった弾四朗は、ある日、お菊が預かる家宝の十枚の皿うち一枚を隠してその罪をお菊に負わせ、ついにお菊を切り殺し庭の井戸に投げ込みました。
 それからというもの夜ごと井戸の底から悲しげな女のか細い声で
 「一枚、二枚、三枚、四枚、五枚、六枚、七枚、八枚、九枚・・・・・」
と皿を数える声が聞こえるようになりました。
そのお菊が投げ込まれた井戸がお菊井戸だと言われています。



ひめじの黒田官兵衛 大河ドラマ館
入りはしなかったですが、姫路城の前にあります。
この近くで昼食と、お茶屋さんに行きました!




書写山は次回にします…。