ノーブラが流行ってるって本当!? 今どきの女子の実態に迫る[スタイルウォーカー連動企画]
「ノーブラ女子が増えつつあるって本当!?」というちょっと気になるニュースが登場。ノーブラの流行はこ..........≪続きを読む≫


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 こんにちは、哲学者のはるかです。音譜


 上記記事に関して、昨日バールーフ・デ・スピノザ(Baruch De Spinoza)の『エチカ』抜きでは語れない旨(参照)  書いたのですが、今日は、Wikipediaのスピノザページ「倫理学」解説 を引用しつつ、そこで定義された”倫理学”を「ブラをつける?着けない?」という問題に具体的にブレイクダウンするかたちで両者の類似性を明らかにしてみましょう。 ラブラブ


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スピノザは、デカルトとは異なり、
自由な意志によって感情を制御する思想を認めない。
むしろ、スピノザの心身合一論の直接の帰結として、
独立的な精神に宿る自由な意志が
主体的に受動的な身体を支配する、
という構図は棄却される。
(Wikipedia のスピノザページより引用)

 平たくまとめると、


デカルト的認識:

乙女のポリシー(=主体的な、独立的な精神に宿る自由な意思)が、

自分のカラダ(=受動的な身体)

楽チンにし、コントロールしている(=支配する)


→ようは、自分で決めて、ノーブラを選択して、ブラによる締め付けから解放されている、って構図。


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 スピノザはコレに対するアンチテーゼをだしたってこと。で、そのスピノザの反論は、


スピノザは、個々の意志は必然的であって
自由でないとした上、
意志というもの(理性の有)を
個々の意志発動の原因として考えるのは、
人間というものを
個々の人間の原因として考えると同様に
不可能であるとしている。
また観念は観念であるかぎりにおいて
肯定ないし否定を包含するものとしており、
自由意志と解される表象像・言語はじつは
単なる身体の運動であるとしている。
(Wikipedia のスピノザページより引用)

スピノザの反論:

ノーブラ派という乙女のポリシー(=自由意志と解される表象像、観念、個々の意志)は、

実は心というわけでなく、カラダが決めている。


カラダが決めるとは、


・肉体的/物理的なバストサイズ、バスト容積

・それにより規定される生活行動(=身体の運動)

 (例:肩が凝る、胸が重い、重くない)


により決まる、ということ。


 ココロ(=ポリシー)とカラダは切り離して考えることができない(=心身合一論)ものなのだ。


 ノーブラ派という乙女のポリシー(=自由意志と解される表象像、観念、個々の意志)は、

カラダが必然的に決めているものだから、自由ではない、というおはなし。合格


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 続きはまた明日っ!ドンッ




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