円安と日本文化に興味がある外国人観光客が、日本に押し寄せ、空前のインバウンドブームですが、そんな中で、オ・ペイシにもインバウンド・サンバのリクエストをいただいています。
 インバウンド・サンバは、オ・ペイシでの造語なので、そういったジャンルがあるわけではありませんが、外国に住んでいる方が、訪日した際、サンバのショーを見せてください、と依頼してくださるわけです。

 言葉が通じても、その方々がどんなサンバを求めているのか、よく理解した上で、イベント構成をしなければなりません。
 面白い「インバウンド・サンバ」が出来れば、と思いますが、どうなることやら、です。

 (写真は、名古屋・名城公園で行われた「多文化共生体験フェスタ」での、オ・ペイシのサンバの一幕)

 長年、愛用させていただいた、このGOOブログですが、サービス終了で、新しいブログに近く、引越をします。
アメブロに行くことになると思いますが、準備が整いましたら、また連絡します。
 これで2回目のブログ引越になりますが、上手く引越作業ができますよう。

 写真は、先日、名古屋・栄の久屋大通公園でオ・ペイシで出演させていただいた「中日飲食文化祭」です。


 オ・ペイシがサンパウロのサンバチーム、モシダージ・アレグレでお世話になって30年ですが、そのうちの28年は、モシダージ一伝統のあるアーラ(パレードの小集団)に所属させてもらっています。
 そのアーラのリーダーが、今年、サンバ50年の栄誉を何と、サンパウロ州の立法機関、州政府議事堂で表彰される、というので、日本にいる時から、その表彰式には、私も是非、参加させてもらいたい、とチームと連絡を取っていました。

 このリーダー、ブラジルの母、といった美しい凛とした女性で、28年前から、実によく私の面倒も見てくれ、衣装制作からパレード練習の隊列作り、衣装の着付け、細かい打合せ・・・とカーニバルに関わる全てのことをやってくれています。
 「サンバ功労者」のたすきを受け取るセレモニーで、リーダーは、全身、純白の服でシルバーの輝くネックレスや大きなイヤリングを付け、フォーマルな姿で、自宅から、みんなでバス2台に乗り込み、議事堂へ向かいました。

 表彰式での司会者の解説によると、私たちのリーダーのように50年、一つのアーラにずっといることは、とても珍しいそうです。私たちからすると、リーダーは、いつもそこに、当然いる人なのですが。
 リーダーが功労者のたすきを受け取ると、みんなで、彼女の名前を大声でコールし続け、歓喜と感動にあふれた、かけがえのない、ひとときでした。

 私たちのリーダーは、悲しいことに22年前に、最愛の息子を不慮の事故で亡くしており、サンバでも仕事でもリーダーの右腕であった息子を失った時の悲しみを多くの人達が知っているだけに、サンバ50年の表彰は、大きな大きな喜びでした。

 人生と共にあるサンバをかみしめることができた表彰式でした。

 明日、11日24:57より、名古屋テレビ(6チャンネル)にて、「ホリナツのカンムリ」という番組で、オ・ペイシがサンバ出演させていただきます。
 写真は、先週、予告が放送されたときのものです。
 ホリナツさんは、Exileの弟分のダンスユニット、Fantastics の方で、私たちと一緒にサンバをしていただきました。
 楽しい番組なので、是非、ご覧くださ~い!
 

 オ・ペイシが早30年、参加させてもらっているサンパウロのサンバチーム モシダージ・アレグレ。2025年のカーニバルも華やかに行われました。
 サンパウロに住んでいた時は、年間を通して、練習はほとんど休むことなく通えたのですが、日本に帰ってからは、直前の駆け込み練習です。
 それでも、古くから我々のことを知ってくれているサンバ仲間に温かく迎えてもらい、嬉しい限りで、サンバの絆を毎度、強く感じます。

 パレードのテクニックは毎年、高まっていき、衣装は幅も高さも、より大きくなり、躍動感が出るよう、振付にもさまざまな工夫がされています。
 モシダージの組織力と勝つための工夫は素晴らしく、オ・ペイシでも見習いたいことが無数にあります。

 去年、一昨年と2連勝をしたモシダージは、3連勝を目指して、素晴らしいカーニバルをしました。
 あいにく予想していないことが起き、3連覇はかないませんでしたが、結果発表を見守るモシダージの会場には、非常に感動的で、結果発表については、また改めて書きたいと思います。

 30年以上前からの人たちが、ずーっと続けているカーニバル。毎回、新たな感動があります。

(写真は、モシダージのLEDを駆使した山車の一つ)

 
 

 ブラジルのカーニバルの真っ只中ですが、このカーニバルの直前に、沖縄サンバカーニバルで毎年、頑張っている人たちで出場させていただいた、沖縄の金武町(きんちょう)、アメリカ海兵隊のキャンプ・ハンセンのオープンデー、ハンセン フェスティバルの写真をアップしておきます。
 11月の「沖縄サンバカーニバル」を見てくれた米軍基地のイベント担当の方が、私たちを一大イベントに招待してくれました!
 日本の米軍基地、という特殊な場所で、まずブラジル人や日本人以外のメンバーも参加できるのだろうか・・・というところから準備は始まりました。
 細かい交渉が沢山あり、英語もポルトガル語も日本語も微妙な言語力が要求される仕事でした。

 振り返ってみると、もっとこうすればよかったな~と思うことは多々ありますが、沖縄サンバカーニバルの有志25人が力を合わせて30分のサンバステージを無事に乗り切ることができたことは、とても良かったと思います。

 このハンセン・フェスティバルの翌日には、愛知県でのサンバイベント、そしてその翌日には、ブラジルのカーニバルに向けて飛行機に乗り込んだため、頭の整理が出来ていないまま、サンパウロのカーニバルに突入しました。
 今から2時間後には、サンパウロの1部リーグ グルーポ エスペシャウのパレードが始まります。
 そして、明日は大事なモシダージ・アレグレのパレードです。
 沖縄も名古屋もブラジルも、私たちオ・ペイシにとって、重要なサンバ活動の場です。
 一場面、一場面、地に足をつけて大切にこなしていきます!

(写真は、Hansen Festival での私たち「沖縄サンバカーニバル」のステージ)

 カーニバルで再び、ブラジルへ参りました。
来る度に、ブラジルのカーニバル期間がどんどん長くなっています。
世の中では「プレカーニバル」という名称がありますが、私たちにとっては、これが全てをかけている本番のカーニバルです。
 オ・ペイシで長年参加しているサントスFC応援団 トルシーダ・ジョーヴェンのカーニバル、これまでにない最大規模のパレードで、緊張感も増大しましたが、めいいっぱい楽しませて頂きました!
 
 ゴール地点の最後の審査員席には、8人の審査員がいるから気を抜くな! というのがチーム内のスローガンのようになっており、みんな知っていることではあるものの、長い距離のパレードでは忘れがちになってしまいます。
 観客席も満席で、サンパウロ全体で、カーニバルが盛り上がっている! という感じをたっぷり味あわせていただきました。

 まだこれから別リーグの練習や、予行練習もあります。頑張っていきたいです。
 
 (写真は、ブラジル北部、ペルナンブッコ州の文化をテーマとしたジョーヴェンのパレードの山車の一つ)

 サンバ出演のご依頼は、よくいただきますが、9日(日)岐阜市で行われる「LET'S SAMBA」は、子供たちがサンバ衣装を制作し、各々が作ったサンバの頭飾りをまとって、私たちオ・ペイシと一緒にサンバを踊る、という面白い企画です。
 子供たちが見るだけでなく、主体性をもって参加する、というのは、参加する子供にとっても、サンバのためにも、とてもプラス志向で良い経験だと思います。
 
 このイベントをきっかけに、サンバを身近なものとして考える子供が増えることを願っています。
 当日、どんな反応があるか、とても楽しみです!

 オ・ペイシの原点とも言えるサンパウロのサンバチーム、モシダージ・アレグレのカーニバル前の1回目の予行練習、エンサイオ・テクニコがこの日曜日、本会場で行われました。
 まだ日本にいる自分は、YouTubeで見るしかないのですが、例年以上に臨場感をもって見ました。

 ずっと音源で毎日欠かさず聴きこんで覚えているテーマ曲を、みんなが動きと共に一緒に歌ってくれるのですから、まるで自分もそこでパレードしているような気分を味わえます。
 正に30年前、このチームへ初めて行った時から知っている人たちが、次々に登場して、打楽器のパートリーダーだったり、アルモニア(統率係)でヘッドフォンで情報交換をしながらパレードの進行をしていたり、自分のアーラ(小集団)の人たちが、ダイナミックに踊り、歌っている姿を見るのは、何とも感動的です。
 
この日の初エンサイオ・テクニコ後の周囲の評価は、「モシダージはまた、優勝しに来た!」 3連勝目指して、あっぱれです!!

(写真は、モシダージ・アレグレ エンサイオ・テクニコでチーム旗と舞うポルタ・バンデイラ&メストレ・サラ)

 ブラジルのカーニバルが近づくと、練習風景の映像を見て、ワクワクしてきます。
その一方で、1月20日になると毎年、しんみりとする瞬間があります。
 サンパウロ時代のサンバダンサー仲間が、カーニバル練習のピーク時に、急病で亡くなった命日で、この日になると、毎年、ダンサー カーリンのお母さんにメッセージを送っています。
 昨日も連絡をしてみたところ、お母さんから「カーリンが亡くなって18年になるよ」と聞き、改めて、そんな年月が経ったのか、と18年前を思い出し、色々な気持ちが混ざり、ジーンときました。

 その一方で、カーニバルは確実に毎年やってきて、カーリンと一緒に踊っていたサンバチームのリーダーから「来週のエンサイオ・テクニコ(予行練習)には必ず出てくださいね」と音声メッセージが飛び込んできます。
 「すみません、私、まだ日本にいるんです」と小さくなって答えながらも、サンパウロのカーニバル前の熱気が、リーダーの声から伝わってきました。

 カーリンのお母さんが以前も言っていました。
 この時期になると、カーリンを亡くした悲しみと、カーニバルへの喜びの両方の感情がある。
 みんな色々な思いをかみしめながら、カーニバルに向かっている、正にそんな時期であると思います。
 
 (写真は、サンバの女王 カーリン)