グロリア・ポンテの高速スライダー
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11月の流鏑馬

「いらっしゃいませ~」
自動ドアが開くと同時に

店内に響き渡る、特徴のある甲高い声

今日私はある決意を胸にこの店にやってきた

「ご注文はお決まりでしょうか」

やはり、この声は苦手だ
だが確信を得ることは出来た

間違いない、こいつだ。この声だけは忘れることは出来ない

「お客様すいませんが、ご注文はお決まりでしょうか」

お客様?お前は忘れてしまったのか、お前が過去に犯した罪を、そしてその被害者である私の顔をも

私はその態度を見て、覚悟を決めた

上着の内ポケットに手を入れ、すぐさまこう言った。

「私のこの顔に覚えはないか」

「はい?どちら様ですか」

その態度に、私の体の奥の奥のほうで何かが音をたて切れた。

カッとなった私は、内ポケットからナイフを取り出すやいなや、相手の喉元に狙いを定め振りかざした。

サクッ……プシャー

手応えはかすかに感じられた

相手は何が起きたのか理解できていないのか、吹き出す血を見ながら、笑っていた。

その吹き出す血は、これまでの罪を全て洗い流してくれるのではないかと思う程に大変美しく、私はいつまでもそれを見ていたかった。



ジリジリジリジリ…



アラームの音がいつにも増して五月蝿く感じる

もう少しなのにな…私はそう思いながら自らやむことのないアラームを切り、もう一度布団の中へと潜りこんだ。

絶好調

サッカーという呼称を使いているのは日本とアメリカだけなんだと

そもそも、私がサッカーという言葉をを初めて耳にしたのは今から28年前のことだ

当時の人々は

日本は一に野球・二にバレー・三・四は無くて・五に駅伝

と誇ってた位だから、サッカーなんて始めようものなら、村八分にされるのは当たり前、さらには、その一族もろともその土地に住めなくなるなど、目のやりばに困るほど酷いものだった。

しかし、そのような酷い待遇を受けてきたサッカー界に大きなチャンスが訪れた

当時のミスタープロ野球こと中畑清が

日本にも欧米諸国のようにサッカーのクラブチームを作るべき

とヒーローインタビューの際に発言したからだ

当然の如く、翌日のスポーツ紙の一面はそのニュースで持ち切りだった

それが私とサッカーのファーストコンタクトだった

その後、長きにわたり世間を騒がしたサッカー騒ぎの責任をとる形で中畑清は巨人軍を退団することになる


絶好調中畑清です。
私は彼の姿を忘れない。

プロローグ〜序章〜

時は平成12年商人の街は大阪。

様々なマスメディアにより地球崩壊をも噂された2000年問題を乗り越え、無事21世紀を迎えれたことにより、大阪の街は1985年の阪神タイガース日本一以来の大変な熱気に包まれ大いに賑わっていた。

その様子に一人の男だけが、ただただならぬ危機感を抱いていた。

その男は名を山中英介といい、過去に皆のミナミの右手とまで称された程の人間だ。

ある日、いつもの様に、トレーニングコースで右手を鍛えていた山中の耳に信じられない言葉が突き刺さった。

「来年には大阪からミナミやキタなんて概念が無くなるらしいよ」

一人の少女が友人数人と楽しそうに話していた

すると、少女の友人もその話を誰かからで聞いていたのか、

「もう、ミナミやキタって表現は古臭いよね」

その時、山中の中の右手の部分が興奮し、気付いたらその少女達の前に立ち塞がっていた。

一人の少女が、明らか怪訝な表情を浮かべ、山中の横を逃げるように通り過ぎようとしたその時、事件は起きた。

急に山中は、身につけている全ての衣服を脱ぎだし、浚にはその衣服を少女達に投げ付けながらこう叫んだ

「わしは意外と着痩せするタイプなんじゃい」


その後、二度とミナミで彼の姿を見た者はいないという。


これは、後に鶴橋最後の総理大臣と呼ばれた男、山中英介の話である。