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パンパンパンダのブログ

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あの日から変によそよそしい友達と、俺と距離を取り始めた友達。
俺はそれぞれに話せないことがある。
もしかしたらその二人が会ったとき俺の話をしたのかもしれない。
「あいつ、お前のこと好きなんじゃないか」
「あいつ、お前のこと嫌いみたいだよ」
その言葉自体はきっとそれほど影響はない。
二人が気にするとすれば、それを相手が知っている、というところだろう。
「告白されて振ってしばらく経つけど、もしかしてその時の話をこいつにしたんだろうか。」
「もしかしたら嫌われているのかもしれないとは思っていたけど、こいつに愚痴っていたのか。」
こんなとこだろう。
そして、前者は俺への罪悪感でよそよそしくなった。後者は俺への不信感で距離を置いた。
逆だと思うかもしれないが、これでいい。
前者の罪悪感は「好きなんじゃないかと言ったことで距離を置くようになってしまうのではないか」ということ。
後者の不信感は「告白のことを話されたのではないか」ということ。告白して振られたけれど、これからも友達だと言って変わらず接してくれていた。でも、俺にまだ恋愛感情があると知って嫌悪感を持ったのかもしれない。
もしくは、話し始めたのが逆の可能性もある。
「俺、あいつに嫌われてるのかも。」
「俺、あいつにまだ好かれてるのかも。」
ということだ。そして、それぞれの質問に、
「そういえば、話が合わないとかつまらないとか言ってたよ」
「あいつ、お前の話すると嫌がるんだよね。意識してるのかも。」
と回答があれば、ショックを受ける可能性はある。
そんな陰口みたいなことするのか?と言われるかもしれないが、酒の席なら仕方がない、と思う。
このふたりはあの日ふたりで飲んでいた。

こうすれば辻褄が合うのだ。理由に納得がいくのだ。
しかし、それが正しいかなんて分からない。ほぼ間違いなく間違っているだろう。
正解なんていつもくだらないことばかりだ。
本人達から言わせれば「そんなつもりはない」なのだろう。
よそよそしいと感じるのも、距離を置かれたと感じるのも俺だけなのだ。勘違い。考えすぎってものなのだ。

嫌われるのが怖いのか。
自分が傷付くのが怖いのか。

立派に育った自意識は俺を守ろうとして傷付けてくる。
過剰に肥えた自己嫌悪は代わりに俺の正当性を求めている。

どんな思考もすべては俺自身を守るためなのだと知っていながらも、それらを好きになることも嫌いになることも出来ない。
矛盾は常に起こっているのだ。珍しいことじゃない。
誰でもそうなんだよ。みんながそれを分かっていて分かっていない。

誰かを自分に置き換えられない。
置き換えてみなよ、全力で。

そうしたら誰もが愛しく思えるよ。