また眠れない。
最近こういう日が増えたように思う。
予定のある日なんてほとんどなくて、それでもLINEやら何やらで何人ともやりとりしているうちに一日は終わる。
暇つぶし、というのはさすがに失礼なわけだが、実際はそうなってしまっている気がする。
この時間になると起きてる人などほとんどいないわけで、仮に起きていたとしてもLINEを送れるような時間ではないわけで、仕方なく一人で何かを考え続ける。
大抵は悪いことだ。そして不安になる。
例えば、急に自分以外の人間がすべて消えてしまったかのように錯覚したりする。
この錯覚は時間帯に限らず起こるが、誰かに連絡することが出来ない今それが起こると自分以外の人間の存在を確認するのは難しくなる。
不安は消えることなく指数関数のように増加していくため、何かしらゲームを起動し、そこのチャットに挨拶をする。それに対する返事を見て、「ああ、自分は認識されている」と安堵する。
ただ、流れていくやりとりを見るだけでは、それが自分と世界を繋ぐ証明にはとてもならない。だからこそ、自分が書き込む必要がある。
ただ、多少の安心は得られても、所詮は画面内だ。一番いい解決策は誰かに会うことなのだ。
もし、もう少し綺麗で、もう少し広さのある部屋に一人暮らししていたら、「寂しいから」と誰かを呼ぶことが出来るのだろう。
友達である必要はない。誰かでいい。
そんな人はきっと少なくはなくて、声を掛ければ一人くらいは来てくれるだろう。
もちろん、代償は必要だ。
孤独の恐怖とは比べ物にならないような代償。
ならば別に構わないだろう。困るのは自分だけなのだから。
ぼーっとした頭のまま、自分に盛る相手を見て、この人は何に興奮しているのだろうとぼんやり思う。
体は性欲に従順で、声すら自然と漏れ出てしまう中で、頭だけがやけに冷めている。
孤独を埋めるためにはこれが一番いいのだろう。
肌の温もりを感じながら、痛みとともに生を感じる。
相手の温度が自分の中に流れ込む。
その温度を忘れないように閉じ込めておく。
相手がこの場を離れても、また孤独を感じてしまわないように、温かさの残る内に眠りにつく。
目が覚めるといつもと変わらない一日が始まる。
行為を寄せる相手にLINEでメッセージを送り、返事を心待ちにする。
ふと昨日の夜のことを振り返り、それでも相手の顔を思い出せないことに気付く。
それならそれでいいのだろう。お互いに「誰か」が必要だっただけ。
もし、誰かと付き合うことになったらどうなるのだろう。
孤独に溺れた時、すぐに助けに来てはくれないだろう。
他の誰かに助けを求めるのは、道徳的に間違っているのだろうか。
倫理的に良くないことなのだろうか。
そもそも、孤独に襲われることもなくなるのだろうか。
孤独、孤独、孤独・・・。
ただそれを埋めるためだけに誰かを求めているのだろうか。
もし、相手が自分に好意を寄せてきたら、自分はどうするのだろうか。