近くのコンビニまで歩いている途中、後ろから不意に呼び止められた。
反射的に振り返ったが、顔を見ても誰かは分からなかった。
ここですぐに「きっと自分の友達なのだろう」と想像し、更にそんな想像が出来るのはアニメや漫画の影響なのかもしれない、とその場で考察出来るほど落ち着いていた。
目を合わせただけで言葉を発さない僕を見て、彼は不思議そうにしていた。
「こんなところで会うとはな。でもそういや家この辺だったな」
反応のない僕を見ても彼は、人違いかな、と迷う様子はなかった。そもそも後ろ姿だけで声を掛けてきたくらいだ。何年ぶりの再会、とかではないのだろう。もしかしたら親密度は高かったのかもしれない。
『親密度』という言葉が自分でも馬鹿馬鹿しく思えた。もっと他の言い回しがあっただろうに、まるでリアルなゲームをプレイしているかのような感覚だった。没入感はある、しかし、これはゲームであるということを忘れまではしない感覚。
目の前に立っている『友達』であろう彼のこともゲームに出てくるNPCのように見えていた。
「久しぶりだね。ごめんね、今ちょっと急いでるからまた今度」
愛想笑いを浮かべながら話す僕に彼は違和感を覚えただろうか。元々、自分がどのように振舞っていたかも覚えていない。しかし、友達以外とのやりとりは覚えている。家族であれ他人であれ僕の接し方は言葉選びに差がある程度で大きな違いはなかった。
きっと、友達の前でも大きくは変わらないだろう。
『実は記憶がなくなってしまって』なんてありふれた台詞は吐かない。
記憶を取り戻したい彼らとは違う。
面倒なことは避けたい。僕は困ってなどいないのだから。
僕は足早にその場を離れたが、彼は「おう」と返事しただけで追及してはこなかった。
少し訝しんでいるようにも見えたが、あれくらいなら普通の反応だろう。まさか、記憶が無い、とまでは思わないはずだ。
コンビニで買い物をして、家に帰り、ベッドに腰掛けたところでスマホが鳴った。
メッセージアプリの通知だった。
『川島』という名前の人物からだった。
『デートか?w』という内容から見て、さっき会った彼だと察しがついた。いや、内容を見る前から想定は出来ていた。
少なくとも記憶がないことに気付いてからは、家族以外からの連絡など一度もなかったのだから。
とにかく名前が分かってよかった。
『川島』という名前は彼が設定したものではなく、こちらが編集したものであった。元の名前はおそらくゲームか何かで使用している名前なのだろう。若干、厨二臭の漂う名前だった。
こちらが編集したからといって、『川島』が本名である確信はなかった。そう呼んでいない可能性も捨てきれない。
何故だろう。無性に楽しい。
人を騙すことが?
思考を巡らすことが?
理由は分からなかった。
『ごめん、母親の体調が良くなくてさ』
そう返事をした。これが最善だと思った。
『違うよw』と返事をしようかとも思ったが、僕が『w』を使うか『(笑)』を使うか、それ以外か分からなかった。顔文字を使うのか、句読点は付けるのか、そういう細かい部分も相手は覚えていたりするものだ。それに、これならば会話が長引くことも避けられる。相手が余程のアレでなければ、だが。
必要以上に慎重なのはバレたくないからではなかった。面白いのだ。この、人を騙す感覚が。
僕は人を騙して生きてきたのだろうか。
家族に対して嘘は吐いてこなかった。それ以外についても覚えている限りでは嘘など吐いていなかった。騙すようなこともほとんどなかった。小さなことでも罪悪感があったことを鮮明に覚えている。ということは、やはり人を騙すことを楽しんで生きていたわけではないのだろう。
記憶を失ったことで人格にも影響が出たのだろうか。
・・・・・・いや、今でも家族を騙そうという気持ちは一切ない。
だからといって、『友達』相手でもそうだという確証はないが・・・・・・。
自分で自分が分からなかった。
自分自身に関する記憶も一部欠落している可能性もある。
けれど、いくら思索しても何も思い出せはしなかった。そもそも、忘れていないのかもしれない。
そんな考えが僕の思考を中断した。
『川島』からの返信。お大事にな、という言葉を見てメッセージアプリを閉じた。
僕は何なんだ?
彼のことよりも自分のことが知りたかった。