〜保育園〜
突き飛ばされたり悪口を言われたりすることが多かった。保育園の先生曰く「口が達者だから他の子は言葉で勝てず手が出てしまう」らしい。そんなふうに僕に責任があると言いたげな人もいれば、いじめっ子を後ろから羽交い締めにし、僕に対して「押さえているから殴れ!」と言った先生もいた。僕はそれでも殴らなかった、らしい。この頃の記憶はなく、後になって母親から聞かされた。
〜小学校〜
保育園でのいじめが原因で男の子に対して恐怖心を抱いていた。女の子友達の多かった俺は当然のように男の子からいじめられた。小三の終わり、転校することになった。理由は今でもよく分からない。転校すればいじめはなくなると思った。
そんなことはなかった。今までの「いじめ」は「いじめ」ではなかったのだと知った。
転校初日、いわゆる「転校生フィーバー」が起こった。友達が出来ないんじゃないかと心配していたが、その日に数人友達が出来た。女の子だった。
次の日にはもういじめられていたと思う。少しずつエスカレートしていくいじめ。最初の頃の事は覚えていない。自分がいじめられていることを自覚したくなかった。親にも話せなかった。友達も裏切った。自分がいじめられないために犠牲にした。笑って笑ってひたすら笑って空気を読んだ。
それでも誰かを助けたかった。誰かが傷付くのは見たくなかった。けどそれは見なければ傷付かない。そんな薄っぺらい正義感だった。友達を犠牲にした罪滅ぼしのつもりだった。友達本人には何も返せなかった。
殴られて、蹴られて、死ねと言われて、それが当たり前の毎日だった。何もかもが怖かった。安らげる時間は授業中くらいだった。さすがに教師の目の前ではやらない。教師も目の前でいじめがあれば黙ってはいられない。誰もが見て見ぬふり。だから授業中だけが救いだった。死ねと書かれた紙がどれだけ来ても、消しゴムのカスがどれだけ飛んできても、背中を画鋲投げの的にされても、それでもそんな授業中が一番まともだった。
姉に相談したことがあった。なんて言われたかあまり覚えていない。覚えているのは「教師は信用するな」だ。後日、教師から問い質された。お前はいじめられているのか、と。でも答えられなかった。理由を聞かれて「先生に話しても解決しない」と言った。怒られた。先生のプライドを傷付けたのかもしれない。でも怒る相手は僕じゃないでしょ。結局いじめはなくならなかった。
いじめと聞いて想像出来ることは全てやられたと思う。そして、いじめられっ子と聞いて想像出来る姿そのものが自分だったと思う。
いじめっ子は頭が良かった。自らはほとんど手を下さず、従えている数人にいじめを実行させた。それでもたまに直接手を出してくる。それは制裁と呼べる程に圧倒的な力だった。自分なんかが太刀打ちできるはずもない。万が一の復讐すら考えさせない程の力だった。
それでも友達がいないわけではなかった。いじめっ子がいない時には仲良くしてくれた。友達なら助けてくれだなんてことは思わなかった。そんなこと出来るはずがない。他の人がいじめられている間は安心してしまう自分がそれを望んでいいはずもなかった。
不登校にはならなかった。どれだけ学校に行きたくなくても親が不登校を許さなかった。ずる休みをすることはあっても長期で休む事は一度もなかった。耐えきれず親に相談したことがあった。親は相手の親に連絡をした。相手の親は笑っていたという。子供同士のことに親が口を出すのはどうなのか、と。親は怒っていた。それでもいじめはなくならなかった。いじめが酷くなったかどうか、それは分からない。比較する必要がないくらい毎日が最低だった。
〜中学校〜
中学では三校が集まっていた。小学校で仲良くしていた女の子たちからは距離を置かれた。小学校でいじめてきていた子は私立中学へ行った。でも、いじめはなくならない。他の小学校から上がってきた子たちから標的にされた。
中学校ではいじめられっ子が多かった。自分はそういう子たちと仲良くするようにしていた。
いじめられるのには理由がある。原因とは呼べないまでも理由は必ずある。そのひとつが「友達がいない」ということだ。報復を受ける可能性が低い相手を選ぶのだ。だから、仲良くした。いじめられっ子同士が仲良くても意味などないのかもしれない。それでも話し掛けるようにした。もしかしたら相手の心を救えるかもしれないと思った。自分がして欲しかったことをし続けた。
一番いじめられていたのは自分だったと思う。羽交い締めにされて飛び蹴りを食らったこともあった。でも、その頃から少しずつ相手の動きが見えるようになっていた。気付いた時には避けられるようになった。そうなれば羽交い締めにする人間はその役を嫌がるようになる。結果的にそういうタイプのいじめはなくなった。
三年生になって、学年で一番人気の男子生徒と同じクラスになった。勉強が出来るわけじゃないけど、スポーツが得意で、特に野球はとても上手くて、性格も明るく、男らしく、顔もかなり格好よかった。けれど、最底辺にいる自分にはとても遠い存在で、同じクラスになったことに意味などないと思っていた。
学年中の女の子から悪口は言われ続けていたものの、他には特にされていなかったように思う。友達も普通にいた。いじめられっ子じゃない友達がいた。
ある日、クラスの男の子が数人の男の子にからかわれていた。顔を見ればすぐに分かる。あれはいじめだ。いじめている子達の顔を見ると、その中に例の人気者がいた。少しショックを受けた。いじめとは無関係な位置にいると思っていた。むしろいじめを止める側の人間だとも思っていたのに。
自分はからかわれている子に話し掛けた。いじめっ子が見えていないかのように話し掛けた。いじめていた子たちは少し驚いていた。いじめていたわけじゃなくただからかっていただけなのだろう。それでも、からかわれている方はとても辛そうだった。
その日から少し変わった。学年の人気者が自分に話し掛けてくるようになった。昼休みにキャッチボールに誘ってくれたりもした。理由は分からない。想像は出来ても実際のところはわからない。
中学最後の一年は穏やかだった。楽しかった。
それでも卒業アルバムの最後のページは白紙のまま卒業した。
〜高校〜
進学校に入った。いじめなんてする子はいない、と親に言われていたが、当たり前のようにいじめはあった。
けれど、今までと比べたらなんてことはなかった。痛いことには変わりないけれど辛くはなかった。クラスにもいじめはなかった。本当に平和だった。
いじめっ子もいじめられっ子も目を見れば分かる。殴ってくるやつもいじめるつもりなどない。ただ、ちょっかいを出したいだけなのだ。そうでなければ連絡先の交換などしない。メールで連絡なんかしない。
笑顔の多い三年間だった。空気を読んだ笑顔ではなく愛想笑いの多い三年間だった。
〜大学〜
いじめはなくならない。どこにでもある。
殴られることが多かった。でも、それはその人なりのコミュニケーションだった。だから自分はいじめだとは思っていなかったし、その相手が嫌いでもなかった。相手もそうだろう。自分のことを嫌いなはずがなかった。そういう目をしていた。
それでも周りから見ればいじめに見えたようだった。一度も話したことのない相手から突然話し掛けられ、なぜ殴られているのか、と聞かれたことがあった。面白い人だと思う。その人とは今でも友達だ。
誰でも人を見下したいと思っているのだ。そうしないと自分を認められない人ばかりなのだ。自分より容姿が悪い、頭が悪い、運動が出来ない、そういう様々なことで自分より劣った人間が必要なのだ。そういう「見下される人間」が俺なんだと気付いた。そんな自分を受け入れた。みんなは見下す相手がいないと不安になってしまうのだと。だから自分がいるのだと。自分は違う視点で世界を見ている。そんな風に周りを見下していたんだと思う。お互いに見下し合っていた。だからお互いに余裕が生まれ仲良く出来るのだ。
卒業パーティの日、一人ひとりグラスが配られた。怖かった。自分はひとりなんじゃないかと。誰ともグラスを合わせることがないんじゃないかと。けどそれは杞憂だった。乾杯の前に駆け寄ってきた人がいた。それはことあるごとに殴ってきたあいつだった。そして、乾杯の号令と共に俺にグラスを突き出したのだ。
良かった。俺は間違っていなかった。嫌われてなどいなかった。俺はゆっくりとグラスを合わせた。
生まれてからずっといじめられっ子でした。
いじめはなくなりません。きっといつの時代になっても。
それは人は根本に孤独を抱えているからだと思っています。いじめはコミュニケーションのきっかけになるのです。同じ対象をいじめる仲間、を作るための安全策になっているのです。自分がひとりにならないために誰かをひとりにしてしまおう。そういう考えに支配されているのです。
誰もが自分に自信を持つことが出来れば、ひとりでいることに怯えなければ、それだけの強さを持っていれば、いじめなどは起こらないのかもしれません。けどそれはとても難しいことだと思います。生きていく上で必要な感情だとさえ思います。だからいじめはなくならない。だけど、意識を変えれば、それはコミュニケーションになるのかもしれない。そう思います。