きっと、あいつは友達を優先するだろう、と。
それなら、初めから友達に譲ればいいと思った。
だから今日は一緒に出来ない、と遠回しに伝えた。
そうしたら、あいつは呆気なくゲームからログアウトした。友達もログインしていたのに。
そのことを喜べたなら、きっと俺は俺自身を真っ向から否定出来た。
それなのに、俺は、もしかしたらあいつのストーリーを進めすぎたせいで、同時期に始めた友達と差が出来たせいで、関係が少しばかり拗れてしまったのではないか、と反省してしまった。
いつもいつも他人を優先して考えてきた。
それが自分の最優先事項だった。
それが自分のためであることは痛い程分かっていた。
でもそうしなければ、そうしていたからこそ、自分の存在を正当化出来た。
誰よりも劣っている自分が、仮に何かで誰かより優れていたとしても、トータルすれば劣っているのは自分に決まっていて、そんな自分が存在していていい理由なんてのは、他人のためであることしか思いつかなかった。
自分の欲が、自分の気持ちが、誰かを不幸にしてしまうのなら、自分はなんで生きているのだろうか。
こんな思いも、どんな想いも、自分を正当化するものだったとしても、それがだれかを、ほんの少しでも救うことが出来たら、楽にすることが出来たのなら、そんな風に思っていたはずなのに、これじゃ、自己満足も甚だしい。
ストレスから逃げ続けてる俺が一人前に悩みを抱えているだなんて、誰から見たっておかしな話だ。
逃げて逃げて逃げ続けて、逃げ続けるために誰かを理由にした。逃げている自分だからこそ他人のために精一杯なれるのだ、と。自分を捨てたからこそ他人の捨てた物すら拾えるのだと。
そんなのは全部、全部、結局は自分自身の為じゃないか。
どんな善も、どんな偽善も、救われる人がいるならそれは善行だ。でも、もしそれで傷付く人がいるのなら、それは独善だ。
逃げたい、逃げたい、逃げてる自分が何を言うのか。これ以上、逃げようなんてないじゃないか。それこそ死ぬ以外に方法なんてないじゃないか。
でも、死ぬのは嫌だ。そんな甘い考えの自分が嫌で、自分を嫌えば許されると思っている自分が嫌で、こういう風に書けば責められることもないと予めシールドを張る自分が大嫌いだ。
俺は俺のことをどこまで分かっているのだろうか。
それがほんの一部だとしても、どこかの誰かよりは確実に理解している。自分のことを自分以上に理解している人がいない。
それは当たり前のことではないと俺は知っているから、だからこそ苦しくて辛くて、そんな俺にまた嫌気が差す。
目の前で涙を流す俺を見て、この涙の意味を分かってくれる人がいるだろうか。涙を流している目が普段とは反対側の目だと気付く人がいるだろうか。右目から涙を流す時は悲しい時だと話したことを覚えていてくれる人がいるのだろうか。
自分が出せるサインなんてこれくらいが限界だ。
だから体はこんなサインを身につけたのかもしれない。
俺はひとりだ。みんなの中に俺がいたとしても。
俺の中にはみんなはいない。