『天才』と呼ばれる人間はこの時間が飛び抜けて早く、周りが同じ時間勉強しても同じ地点に立つことは叶わない。
しかし、この時間は一つひとつの事柄で進み方が異なる。ある分野の天才が、気まぐれで他の分野に手を伸ばしたとして、その分野においても他者より早く知識を会得出来るとは限らないということは言わずもがな。
と、前置きはこれくらいにして。
私は姉に連れられ、所謂『人生相談』をする機会が生まれ始めた。誰かに悩みを打ち明けたりすることはもう何年もしていない。悩みを聞く側ばかりだった。
相手は当然、私より年上だ。最低でも二まわりは上の方。
悩みはないの? と聞かれても今の私はほぼストレスフリーで、仕事もせず家でボーッとしているにも関わらず一人前に「悩みがある」だなんて言えるはずもなく、同時にその考えが私自身から悩みを奪っているような気もする。と、話が逸れたので話を戻す。
悩みはありません、と応える私に対し、相手は必ず「そんなはずはない」という顔をする。
自覚していないだけで悩みはあるはず、悩みのない人間なんていないんだよ、とその人は言う。
悩みのない人間がいないなんてことは分かってる、だからこそ私から悩みが消えたのだ、なんて言えるはずもなく、私はただ相槌を打つ。
なんとか私から悩みを引き出そうと相手が振ってくる話は「うつ病になったきっかけ」ばかり。
それは悩みを引き出すとは言わない、傷口をほじくり返すと言うのだ、なんてもちろん言えない。
私はあったままを正直に話す。
それでも私の気持ちは伝わらない。
私の言葉に疑問を感じたならば聞いてくればいいものを、私はあなたの気持ちが痛いほどわかるよ、とでも言わんばかりに理解したフリをするのだ。そして、次に口から出てくるのは見当違いな意見。
「自分が普通に出来ることを周りの人間が出来ないことが不満に思うのは良くあることなんだよ。なんでこいつはこんなことすらできないんだ、ってね。でも、『ここ』はそういう人こそ来るべき場所なんだ。心を寛大に、器を大きく出来れば・・・」
ああ、また勘違いされた。
自分が周りより優れた人間だなんて思えるはずがないじゃないか。自分は致命的な程欠落している、けど、たまに他の人より上手く出来ることもある、位にしか思っていない。
自分が大卒だからって高卒をバカにしたりはしない。学歴で努力の程は判断出来ないから。
自分より年下の相手だからって考えを押し付けたりしない。自分が最善だなんて思っていないから。
高校生時代、SNS内で個別相談を受け付けていた時期があった。
もちろん相談件数なんてほとんど0だった。資格も実績もない私に多くの相談が集まるはずもない。けれど、もし、それでも相談してくる人がいるとすれば、周りに相談出来る人が居らず、プロに頼む程のことか迷っていて、ネットの赤の他人になら話せる、という人じゃないか、と考えていた。
実際その通りだった。初めて連絡をくれたのは40代女性だった。旦那との家庭トラブルだったと思う。もちろん、私に家庭を持ったことは疎か、恋愛経験すらなく、それでも私の考えを話した。
文章からでも分かるほどに感謝の気持ちが綴られていた。本当にお金は払わなくていいのかとも書かれていた。
私はとても充実した気持ちになっていた。こんなにも感謝されるなんて、と。舞い上がっていた私はミスを犯した。「資格もないし、そもそも未成年です」。そこで連絡が途絶えた。
少なくとも年齢は隠しておくべきだった。資格を持っていないことはプロフィールに書いていたが、年齢は記載していなかった。説得力がなくなると思ったからだった。それなのに、つい言ってしまった。私の年齢のせいで、相談者はまた落ちてしまったのかもしれない。
それから、年齢で判断することはしなくなった。
私に悩みがあるとすれば、年齢だ。