…放蕩父親の 安らかな 最後… あなたは信じますか?


30年ほど前の話です。当時 私は神奈川県藤沢に住んでいました。年の瀬も押し詰まり掃除 買い出しなどで忙しくしていました。電話が鳴り 主人の父親が危篤の連絡が入り、主人と長女は直ぐ九州 福岡に急ぎでかけて行きました。私は準備をして次の日に出発しました。


主人の父親は、満州で生まれ戦後の引きあげ者だそうです。満州では、銀のお皿 銀のお箸 等で贅沢に暮らしていた 相当のボンボンだったそうです。戦後 両親とやっとの思いで日本に逃げ帰って来たそうです。日本に帰ってきてから熊本の開拓団(?)になり、山林を切り開いて農業のせいかつをしたそうです。しかし、満州での贅沢な生活が忘れられないのか、働くことを嫌い 慎ましい生活を嫌い 世の中の変化 自分の立場の変化を 認められず 荒くれた生活をしていたそうです。


結婚し子供が出来 生活費が無くても お酒を浴びるほどのみ お酒が入ると 暴れだし主人の母を殴る蹴るが毎晩のできごとだったそうです。家は貧しく 毎晩コロッケ お弁当もコロッケ 住まいは6畳一間でお風呂はなく玄関のタタキにたらいで湯浴みをして暮らしていたそうです。家族がどんなに困窮しても関せずお酒を飲み暴れ…だったそうです。 


長男が(当時の主人 離婚しましたDVで)が神奈川県職員になり自立したのをきっかけに離婚したそうです。その後も 飲んだくれ 暴れ の生活だったそうで、妻 子 親戚一同から厄介者扱いされていたそうです…


私が1日遅れで義父の病院を見舞った時、義父は集中治療室で何も食べれず、チューブが身体のあちこちに着いている状態で 酸素マスクのなかからゼーゼーと苦しそうな呼吸音が聞こえていました。表情も苦しそうで…可哀想でした。病室の外の廊下で息子(私の前夫)母親 親戚の人たちが集まり「自業自得 延命なんてしなくていい」等の話をしていました。私はとても悲しい気持ちになりました。


私は病室に入り 耳は最後まで聞こえると誰かに教わったのを思いだし「お父さん 嫁の○○です  お父さん悲しいでしょ 寂しいでしょ 誰もお父さんの悲しみ解って貰えなかったんでしょ 私は解ってあげたい 何時かきっとお父さんの気持ちを皆も解るときが来る これから行こうとしているところは決して怖いところじゃない 今までしてきたことをゴメンナサイと思う気持ちがあれば 怖いところになんか行かない 大丈夫 安心して 」等 思うがまま 耳元で話し続けました。私の姿を見た主人と母に「余計なことを話すな」 と言われ、私は病院からホテルに帰されました。



奇跡がおきました


私が病院をでてから義父の容態が急によくなりベッドから身を起こせ 食事とり 水を飲み孫を抱き そっくりだー と上機嫌で話し 笑い それから 眠るように 逝ったそうです。


   

   逝く直前に 安心し 安らかになるのも 幸せと思います


   

   生きている 毎日が 安らかでいるのも 幸せと思います


                                    

    あなたは 信じられますか? 本当にあったことです。




ゴジさんのブログ-未設定