あなたにとっての財産はなんですか?
後にも先にも「人」だと答えるだろう。
若い頃からそういう考え方を徹底している。
10代の頃2つ前の西内社長と出会った時もそうだ。
僕は元々違う女の子を相手にする水商売をしていた。
たまたま行った六本木の大箱のカジノに札束が飛び交っている。
バブル期だったのでそれは超賑わっている。
僕はここにいる方が面白いコネクションと出会えるのではないかと思った。
ギャラは前のほうがいいがそういう問題ではなかった。
本当にそれこそ有名人が何百万、何千万円とバカラをやっていたし
今考えれば、 バブルの象徴だった。
ギャラもバカラのディーラーになるが大バカラができれば何百万をとる人も
いたし、ブラックジャック、ルーレット、バカラさえできれば普通の人でも
20万円~30万円はもらえる。これは普通じゃんと思う方もいるかもしれないが
時間効率でいけば週5ぐらいで実質1日3時間も働いていない。すごく楽な仕事だ。
大体1時間カードを巻いたら1時間休憩だからだ。
ただたいていのディーラーはそれを風俗やまた自分で別のカジノに行って食いつぶす
のが大半。キャバクラ行ったり。
僕は前の職業のこともあり、そういうことに興味がなかった。
手先が余り器用ではない部分、カードもチップ(ルーレット)も余りうまくなかった。
だから給料は人並。
おまけに
「お前もっとシフトに出ろよ。ぜんぜんでてないじゃん。」
仕事もそこそこにお客さんと遊ぶ事に一生懸命だった。
夜の商売のいいところはどんなにえらい社長でも
対等に話せること。なぜならその時どんだけ昼間えらいか知らないからだ。
だから先方の社長も素で自分達を相手に接してくれる。
そして実はカジノをやってない日は違うバーで働いた。
立ち上げたばかりのバーを手伝ったのだ。
それが今は西麻布では5本の指にははいるであろう
豊藤さん率いる「ROMEO」だ。
あのパブリゾンビルを流行らしたのは彼の功績と言える。
今と違いあの西麻布近辺は本当に飲食が続かない町で有名だった。
あの何もないところに現状渡しでつぶれた飲食店を引き取った所からスタートしている。
成功した要因は隠れ家的要素を持っていて、とにかく業界関係者の人たちが
来た。プロダクション、レーベル、タレント、ミュージシャン、野球選手
普通に遊びきた。お忍び合コンもやっていた。なので良くあの近辺でフライデーされていた。
豊藤さんは僕のカジノ時代の上司で最初の面接してくれたのも豊藤さんだった。
その時の僕の格好は今では結構カフェとかじゃあ当たり前なのだが
ドレッドヘアーでラスターカラーのオーバーオール履いて、ピアスとかしていた。
「お前、格好いいなあ」
その当時、テクノとか流行って綺麗目が流行りなのでそんな事言う人皆無に等しいしかったが
これで採用だった。ちょうどその頃HIPHOPが日本で出始めた頃だった。
豊藤さんは大のHOPHOP好きだったのは後で判った。
そんな豊藤さんから
豊藤さんに店をやるから手伝ってくれと言われた。豊藤さんは人づきあいに関してはバランスのいい人だったし、
なによりもあの人のオヤジ殺しドは半端なかったので、いなくなって寂しいというものあったし
彼の元で勉強してみるのもいいかなあと思った。当時3歳上の彼が相当大人に見えた。
言われたギャラは千円だった。
「千、千円
」
手伝ってくれと言われたのに1000円だった。
本当にせこい人だと思った。
あの当時他にいけば普通にギャラは高い職業はあるし、まあ、ここにいるお客さん
、そして豊藤さんのネットワークの作り方を勉強する勉強代だと思えば
といいと割り切った。
その後も
「おおい、ギャラあげてやったぞー。」
10円。。。
マックにいるのかと思った。いやマックのほうが上がる
多分30円とか。
ある時、一度ハワイに行く事になった時豊藤さんが餞別を1万円くれた。
感動した!!あの豊藤さんが一万円・・・くう
でも仕事は本当にお客さんがいないところから始めたので大変だった。
半年近く人はいなかった。またいたら、いた、いないならいないで
従業員の不満は大変なものだった。
今はどうか知らないが、豊藤さんはお客さんに頭は下げるが
従業員や部下に頭を下げるのはへたくそだった。要するに不器用な人だとわかった。
でもお客さんは遊びにきて僕らも席についたりするので仕事は楽しかった。
だからあの当時不満が言いながら辞めなかったのは内助の功のもう一人のオーナー
くまちゃんと豊藤さんが見せてくれた世界が面白かったからなのかも知れない。
今はどうかはわからないけど、当時バーとしてはイケた事は間違いしね。
お客さんには社会については色々教えてもらった。
大学は行けなかったが生きた経済学を自然に学べたいい環境だった。
豊藤さんには感謝している。ただし、彼にはこの言葉は言った事がない。
僕も不器用ですから。
そういえば
昔彼に言った事があったなあ。
「将来絶対会社作るんでそん時はお金出してくださいよ。」
そうしたら彼は
「お前がそんだけの奴になったらお金出してやるよ」
そう言えば最近あってないなあ。
3年ぐらい会ってない。
行くとすぐ昔と同じようにお客さんの前とかでも説教とかするから嫌なのだ。
彼にとって僕は僕でしかないのだろうが、もう少し、周りの立場を考えて欲しいものだ。
それがあってあまり顔だしていない。
ただ、彼は全く覚えていないだろうが、そういう言葉のやり取りがあり、
それを胸に豊藤さんを超えたいと思い今の自分がやってきたというのは胸の中にある。
彼に対しては賛否があるだろうが、豊藤敬がすごい人間である事にはかわりはない。
彼には近い将来感謝の意を言う事になるだろう。
今考えると当時はどんな芸能人よりも自分が一番カッコイイと信じて疑わなかった人間なので
判らなかったが今はわかる。
彼が見せてくれた世界。彼が何故僕を誘ったか。どうやって繁盛させていったか。
彼が何故ああいう事を僕に言ったかなど今になって見れば良くわかる。
なので僕は人の付き合いを昔から意図的に選んで付き合っていく節がある。
3年周期ぐらいでその周りにいる付き合っている人が違う。
しかもほぼ自分が友達になりたいと思い付き合った人ばかりだ。
なので会わなくてもいつでもその当時付き合った関係は深いので
いつで会いたい時に引き出せるようにできている。
これが僕の強みであり、財産になっている。
だから色んな方面に友達が散らばっている事。これが強みなのだ。
だからどんな状況になっても生きていけると思うのはそういう方達が
場面、場面でいてくれたからだと思っている。
だから今結構異種企業交流会などで人脈を増やそうとやっきに
なっている人達がいる。でも知り合いが増えたところで自分がケアできる
人はそんなにいない。
それになんか知り合っておけばいいことあるかも!!
だいたいそういう考えでいい友達や知り合いとは出会えないと思っている。
たいていそういう人に限って自分に自信がない人は多い。
必要な人間、本当に自分を思ってくれる人が一人いてくれれば十分というのが僕の考え。
必要な人間はまた、その人にとって重要な人間が知り合いにいるし、その人間とも友達になれる。
その方が本当に必要な仲間だけが周りにいるようになる。
それが縁なのだと思う。
そういう事を教えてくれた場所だった。
ぼくにとってはあの場所、あの時の上司、お客さんが
今の僕を育てててくれたといっても過言ではない。