なんとドンムアン空港のコンビニで赤マルを買おうとしたところ1箱900円もするようだった。タバコは世界各国の事情が値段や種類に如実に表れるので面白い。切れるのが怖かったので2箱買っておくことにした。想定外の出費である。
ネパールは今まで訪れた国とはまた分類が大きく異なり、南アジアに位置するヒンドゥー教がメインの国である。東南アジアは仏教が多かったのだ。国は貧困に直面しており、平均月収は3万円ほど、世界レベルの貧困基準を下回っている国民が約60%を占めている。その分物価も安く、バイタクは20分ほど乗って100円、水の大サイズが20円といった具合である。肌の色も東南アジアより濃くなりみなヒゲを生やしガタイもいいため、かなり強面であり日本では少し警戒される顔付きをしていると言っていいだろう。カトマンズの街中を歩いていてもみんなと視線が合うので少し怖く異様であった。また、地理的には中国とインドの2大国に挟まれており、エベレスト含むヒマラヤ山脈が国土に属している。それゆえカトマンズも高山都市と分類される。
過半数がヒンドゥー教徒であるネパールにある仏塔がドミトリーから近かったのでとりあえず行ってみることにした(この仏塔は後にも登場する)。階段を400段ほど登ってようやく塔に辿り着けるのだが、犬だけでなく猿とも距離が近くなり警戒は怠れない。頂上からの景色は圧巻であった。近傍にはごちゃごちゃしていながらカラフルに彩られたカトマンズの街並みが見え、遠望に雄大なヒマラヤの山々という人工と自然の融合である。この景色を見ながら一息吐こうと屋台のラッシーを買い、座って飲もうとすると隣のおじさんに声をかけられた。気付けば猿たちがまう真後ろにまで迫っていたのだ。なるほど気が抜けていた。猿に狙われるのか、今までは持ち物を狙われるような国(人にも動物にも)を通ってきていなかったのでうかうかしていた。素早く飲みきりゴミを捨てるところを探していると前からやたら目が合う猿が歩いてきた。ゴミを僕の胸ほどの高さに持っているので届かないだろうとタカを括っていたのだが、足元の死角に入るやいなや一撃で飛びついてきゴミに手をかけられ、咄嗟の判断で守り切ることに成功した。まだ足元の死角からこっちを見ているので蹴ってしまった。襲撃に失敗した割にしらこい顔をしているのにも腹が立ち、まず僕からゴミを取れると思ったのにも腹が立ち、いくらゴミとは言えどこんな猿ごときにあげる気にはならなかった。
夜にすることを探してカトマンズ旧市街を歩き回っているとなんとカジノを見つけてしまった。マカオ以来のカジノ編である。カトマンズにはカジノがあるらしい。自分に向いているカジノを見つけ(これもまた中国資本)、確率に従って賭けるも連敗が続き元金だけは確保して撤退することとなった。
翌日、アレで昼過ぎまで時間が潰れることとなった。結果には大満足であるため全く無問題。調べてみるとネパールにはマッドハニーというハチミツがあるらしく、食すとハイ、幻覚、幻聴、睡眠導入などの効果があり、日本でも完全合法、飛行機での輸送も可能だと言うのだ。迷わず買いだ。
夕方にバグマティ川を見ることにした。ガンジス川の支流であり、バラナシ同様ヒンドゥー教徒の火葬及び遺灰の放流を行うところである。インドもネパールも生と死との距離が近いと言われるのがまさに実感できる。1日に約80の、人の遺体、火葬、遺灰まで大勢の人が日常的に見ることができるのだ(インドのバラナシでは1日数百)。人を焼く時の甘くまったりした、何とも表現の難しい匂い(不思議と臭いとは感じない)と大量に出る煙に覆われながらみなボーッとしている。僕もすぐにそのうちの1人になった。ヒンドゥー教には厳しいカースト制度があり、死んだ後もそのカーストは付き纏う。というのは、カーストが高い方が火葬が豪華になり、遺灰もバグマティ川のより上流から流されるのである。どの身分でも死は平等に訪れるのだが、死後もカーストによって差が存在するとは。端的に言えば死後の扱いが生まれた時点で差別化されているということであり、日本では到底考えられない。
帰りにバイタクを使ったのだが(バスも街中を走ってはいるのだが飛び乗らなければならないため捕まえるのを諦めた)、ここでもまた話しかけられた。ネパールのバイクは話しかけられる率が段違いに高い。何歳なのか、1人なのか、どこからきたのか、などの質問に話を加えてくる。自分の20歳なんてインドにしか行ったことなかったよ、インドは綺麗で良いところもあるけど人が悪いこともある(ネパール人はこぞってインドを渋るのだ)、1人で海外旅し歩くなんてリスキーじゃないのか(スマホを触りながら片手運転で人混みや車両を率先してくぐり抜けて行こうとするバイクにノーヘルで乗せられていることの方がリスキーではあると思うが)など、飽きはしなかった。ここら辺でネパール人というのがかなりフレンドリーな民族であると薄々気付くのだ。
ドミトリーに戻るとルームメイトのうちの1人が話しかけてきた。パキスタンから長期で来ており、母国では父親の勧めで空軍に入隊したが給料が少ないため辞め、ビジネスを始めた。そのビジネスというのがライセンス無しで銃器を売るというものであり、学生などが自衛のためによく買うらしい。警察がきても賄賂さえ払えば仲良く見逃してくれると。この辺りから雲行きが怪しくなってくるのだが、話を聞いているとやはりそうであった。ギャング役満である。そんな物騒な話をしてきたにも関わらず、パキスタンに来るのをオススメしてくる。みんな銃を持っているから逆に安全であり、旅行者は月いくらか出してボディーガードを3人常に付けて行動すればいいさと言うのである。だが日本政府が危険レベル2以上を出しているのでなかなか行く訳にはいかない。ついこの前までインドと戦争していたのも見過ごせない。そのパキスタン人は今はトレーダーとボディービルダーをして過ごしているらしい。
夜は毎度の如くカジノへとせこせこ足を運ぶも負けてしまい元金すら残すことはできなかった。これには歴とした原因がある。途中で設定を変えられたのだ。今までの確率のデータが全く意味をなさなくなり、予想が立てられない。あるおじさんがそれで店の人と喧嘩になってしまった(ネパール人はフレンドリーなのだが異常に喧嘩っ早い)。不貞腐れてルーレット台を見ているとドミトリーのルームメイトが話しかけてきた(僕のルームメイト全員の行きつけのカジノだったらしい)。僕が日本人だとわかると人がわらわらよってきて、何人も同時に話し出す。同時並行でネパール訛りの英語に対応するのは容易くない。逆に僕が何かを話すとみんな聞いてくれるのだ。その中にSalinaという店で働いている女の子もおり、周りのおじさんが翻訳するに僕のことが好きらしい。あまりのスピード感に驚いたが、流れでWhats appで番号を交換することになった。また、他にも日本料理のシェフをしていたという身なりは少し汚いパキスタン人のおじさんが良くしてくれる。僕が夜ご飯をまだ食べていないと知るとカジノでタダで飲み食いできるよ!と案内してくれ共にご飯を食べ、色々な話をした。カジノで勝つ方法や最近の世界情勢の話、母国の話など。その後おじさんが賭けるのを見ていたが本当に勝っているのであった。
翌日、ネパールの古都をまわることにした。パタン、バクタプルである。どちらも雰囲気は似ており、赤煉瓦基調の建物、寺院が残されている。パタンは規模も小さく、タダで見ることができたのだがその後のバクタプルは入るだけで2000円かかるようだった。できるだけ出費を抑えていた僕には痛いが、仕方ない。入るや否やガイド要らないかと声をかけられ、無視していたのだがやたら日本語が上手く勝手にガイドを始めてきた。初めは無視していたのだが、日本人にはタダでガイドしてるねと言うものだから話を聞くことにした。後でごちゃごちゃ言われても一銭も払わなくて良い言質が取れたのだ。
案内されながら話を聞いているとなかなかに面白かった。ネパールには3人の王がおりそれぞれがカトマンズ、パタン、バクタプルを治めていた。それぞれあまり仲が良くなかったので各々自分の領地に寺を造り自領土で儀式が完結できるようにした。バクタプルの王は自分の家の扉を金で作らせ、寝室の扉を木1本を精巧に彫らせたが、技術の流出を防ぐために彫らせた後にその技術者の腕を斬らせたと。王が使っていた風呂や大衆用の風呂も面白いが、何よりも面白かったのはヒンドゥー教の話だった。
バラモン教から派生したヒンドゥー教にはまず3神、ブラフマー(創造の神)、ヴィシュヌ(維持の神)、シヴァ(破壊の神)がおり、それぞれに宗派があるようだ。また3神には化身となる姿や神妃を持つ。釈迦やラクシュミー、カーリー、北伝仏教でいう大黒天や弁財天などがこれにあたるようだ。他にも子神としてガネーシャやハヌマーンなどがおり、ストーリー性やキャラクター性が面白い。そしてヒンドゥー教を代表する考え方が業(カルマ)や輪廻転生である。前世の善悪により来世の動物が決まり、車輪が廻るように生き返り続ける。これは苦しいことであり、この輪廻から解脱することが目標とされる。カースト制度は今はマシにはなったものの、不可触民(アンタッチャブル)の話を聞いていると昔の日本のようであった。
そのガイド、キサンは日本人の妻を持ち、12年日本に住んでいたと言う。火葬場の話をすると、8/10(翌々日)の話を始めた。8/10はネパールのお盆に相当するものであり、大きな祭りがバクタプルで行われる。その意義とは、祭りを行うことでこの1年で川に流れた人たちが来世への扉が開くというもの、日本のお盆は先祖が現世に帰って来るというものであるから、概念としては真逆になる。キサン曰く、自分が死んだ時に家族も稼いだ金も買った家も車も次の世に持っていけない、けれども自分、自分の身体だけは確かなものであり、そこに彫られている刺青も唯一持っていけるものであると。だからネパール人は刺青が多いんだよ(キサンもかなり派手な刺青が入っていた)と教えてくれた。なるほど素晴らしい価値観である。他にも、バクタプルには金がない人がたくさんいるがみな幸せである。なぜなら街中みな友達であり、定期的に祭りがあり、それだけで満たされているのだ。今日のご飯を食べる金がない人がいても、そんな人も不幸せではなく、誰かが食べ物をくれ、人に助けられて生きていけるのだと。確かにキサンに付いて回っていても街中全てが友達のようだった。つまり、人生で大切なものは金だけではないと思うと言い切られ、考えさせられるものがあった。8/10は1年で最も大規模な祭りであり、せっかくだから来たらいいよと勧められたが僕は迷いに迷っていた…
その後も色々な店を見せてくれ、バクタプルで老舗の店(卵焼きと豆と水牛を混ぜたやつ、味は少し濃いが美味しかった)やバクタプル限定のヨーグルトなどちょこちょこ食べて、ダライ・ラマが作ったという曼荼羅を見て(精巧すぎて驚いた)、また話を聞いていた。そうは言ってもネパールは貧しい訳で、その原因は国の上層部にあると考えている。10年前にネパールで地震が起こった際に日本も何億という金額を寄付してくれたと思うが、上が全部ポケットにしまって我々には全く届かなかったんだよ。だから貧しいネパール人は海外に出ることも多いね(低カーストから逃れる意味もある)。ここで香港のイシャンが思い出された。彼は寂しかったから僕に声をかけてきたのかなと思っていたが、ネパール人であることを考えるとただフレンドリーなだけだったようだ。インドから車を輸送してくるにしても関税が200%かかり、ランドクルーザーも5500万するんだ。だからネパールも自国でモノを作れるようにならなければならない。間違いないことである。学校教育も私立と公立に分かれており、私立ではほとんどの授業を英語で行うためネパール人は英語が話せる人が多かったのだと教えてくれた。
その後休憩所的なルーフトップに連れて行かれ、キサン自身の話を聞くことになった(平気で大麻を吸い始めたが警察もなあなあなようである)。バクタプルという街は街ぐるみで商売を行うためチェーン店というものがない。そんな中でキサンは日本人向けのドミトリーをするのが夢だと語っていた。それゆえに現在は三重でお金を貯めているのだそう。もう土地は買ったようで、最悪土地代の上昇だけでも儲けは出るようだ。5年と経てば土地代は2倍になるし、銀行の定期預金に半年も預ければ2倍にしてくれると。これには背景があり未だ開発されていない部分が多いネパールではこれからインフラが整い地価もそれに伴って上がると予想されている。好景気の時の日本ほどと言えるかはわからないが、土地バブルの片鱗が見えているのだ。金が金を引っ張るというのが理想だと語っていた。僕が1人で海外をほっつき歩いていると言うと、せっかく日本のパスポートを持っているのだから良いことだ、ネパールのパスポートでは36カ国しか行けないからね、と悲しそうであった。
ガイドの最後の最後に8/10に向けた楽器の練習をしているからと練習風景を見た。主に子供〜青年が練習していたのだが、みな嬉々として楽器に合わせており、心の底から祭りを楽しみにしているようだった。このような経験が自分にあっただろうか。ここまで祭りを幸せそうにしている人たちを見てしまったら、自分の幸せについて考えざるを得なかった。この練習風景を見て8/10わざわざバクタプルをまた訪れようと決心したのは言うまでもない。
キサンの人の良さは僕の心から疑いというものを完全に消し去った。ここまでも良い人感があるのは異国の地で日本語を話されたからではなく、感情表現の豊かさもあるのかも知れないと思った。素直に感情を表に出すということは信頼を築く上で大切なのだ。キサンのこのような人の良さは、人と人の関係が希薄な日本においては少し損を見る気もするが、日本に12年間住んでいて変わらなかったのであれば確かなものなのであろう。結局最後までガイド料の要求は一切なかった…
バイクでカトマンズまで戻っている最中にキサンから電話があり、もう一度くるなら今スタンプを押しとかないとまた2000円取られると聞いて駆け戻ることにした。このような助言は作られた優しさではなく、相手のことを思い、責任もそこにはあるのかもしれない。ネパールも地震大国なようなので、何か起こった際は国にではなく個人に寄付しようと誓った次第であった。
この夜も結局カジノに勝ちに向かったはずなのだが大敗してしまった。日本料理オジに任せたのが悪かったのかもしれない。萎えて部屋に戻るとパキスタンのギャングがカトマンズの夜の街に誘ってきた。ネパールでは日曜が休みではないため、weekendといえば金晩のことになるらしい。確かに人は多かった。クラブを連れ回され、色々な人に紹介されるのももう慣れてしまった。日本のとは異なり、ネパールのクラブは合意+金が必要なようだった。ギャングと全く女性の好みが合わないのにも困ったが、1人あたり3000円ほどと聞いて驚いてしまった。正直ネパールの夜はあまり好みではなかった。
この辺りから昼間ダラダラと過ごすことが多くなり、そろそろ次の国に発たなければならないという危機感を覚えた。一旦夜仏塔(例の初日の猿の所)で祭りがあるとキサンに言われたので参加することにした。夜の景色は綺麗であり、楽器でどんちゃん騒ぎしているのも楽しかったが、1番気になっていたのがとある伝説、言い伝えだった。キサンによると、0時を過ぎたどこかの時間で仏塔が空に映るらしい。最初はキサンの日本語が間違っているのかと思ったが、何度聞いてもそう答える。大麻を吸うキサンを隣に0時を過ぎて空を見てもそんな気配はなかった。もし仮にそのようなことが現実に起これば間違いなく超常現象であり、宗教を信じるようになるのも仕方ないと思うが、僕は流石に懐疑的であった。キサンも人生で見たことないらしい。じゃあ無理やん。だが、0時を30分ほど回った頃、みなが騒ぎ出し1ヶ所に集まって動画を撮り出した。まさか、と思い上を見上げると本当に仏塔のシルエットが空に映っていたのだ。僕も急いでこの奇跡を動画に収め、キサンに感動していると伝えた。キサンはだろ?というように微笑んでき、素晴らしく神秘的な思い出となった。
翌日がいわゆるネパールのお盆、バクタプルに向かったが人が多すぎるためキサンを探すのが難しい。ネパールの電話番号は取得していたのだが、通話時間が一定を超えてしまい、着信しか受けれなくなっていた。そんな状況で祭りと共に動き続けるキサンと待ち合わせをするのは不可能であった。1時間半ほどで祭りを後にすることとした。この日がネパールでの最終日になり、翌早朝のバスでインドに向かう予定だったので、最後にカジノに挨拶に行くことにした。着いた頃には誰もいなかったが、Salinaが僕がカジノに来たら伝えるようにとお偉いさんに頼んでいたらしくやたら絡まれた挙句最後に少し話すことができた。付き合ってはいけない3B(バーテン、バンドマン、美容師)に新しく博打撃ちが追加されるような気がして、この日は賭けないことにした。カジノを後にし、ドミトリーに帰る途中で日本料理オジともすれ違い(今からカジノへ行くのだろう)、またパキスタンギャングにも声をかけられ、すっかりそのカトマンズという街に馴染んだ気がした。素晴らしく美しく、フレンドリーで神秘的なネパール、カトマンズに何の悔いもなかった。
ネパールからインドに向かう際に様々な問題が生じた。早朝からバス停の場所に向かおうとするも、仏塔の名前しか書いておらず、この仏塔がまた大きいためどこで待てばいいのかがわからない。集合時刻が5時45分と言われているのにバスの気配が全くないため流石におかしいと思い、よく周りを見てみるとやたら人が向かっていく方向がある。こっちがバス停なんじゃないか?と思い地図を見ると自分のいる所と真逆に大道路があるのに気付いた。しまったこっちかと思い何とか道路に出るとバスだらけでどれかがわからない。聞き回ってもたらい回しにされるだけで、偶然話しかけたマダムがバス会社に電話を代わりにしてくれ、何とか1時間半後にそのバスが走っているところに文字通り飛び乗ることができた。ちなみにバス停は近くにあったガソリンスタンドだったらしい。誰がわかんねん。バスの質もそもそも悪く、ラオスではゆっくり乗り越えていたはずのレベルの穴に猛スピードで突っ込んで行くのでバスの上下左右運動が激し過ぎ、座っているだけで座席から尻が浮くという現象が少なくとも100回は起きただろう。そんな思いをして半日かけて着いたネパール・インド国境でなんと陸路で国境を越えるには予めペーパーのビザが必要で、アライバルビザやeビザを使うなら空路でなければならないと言われてしまった。何ということか。今まで回ってきた国では考えられないルールが南アジアにはあり、急ぎ一晩かけてカトマンズに戻り飛行機に乗り込むことにした。この混乱の最中にバスまで案内してくれたおじさんが料金をふっかけてき、流石にそのしらこい顔に腹が立ってしまい、怒鳴ってしまった。怒鳴ったのはおそらくこの旅で初めてだと思う。カトマンズの空港は大きいものではなく、出発3時間にならないと空港にすら入れず(僕はバスの到着時間の影響で6時間前に着いてしまった)、空港に入るだけで荷物検査がありライターを没収される。1人1つも持ち込みができないと言うのだ。それは困る、と抗議すると偉いさんに言ってくれと言われ抗議を再開し、これは高いやつなんだというと何と見せてくれという展開になり、ジロジロ見てからカバンに入れといてくれ、後で出発前の荷物検査で引っかかるとは思うけど、と何とか許してくれた。カバンに入れていたら出発前の検査にも引っかからず、前でモタモタしている中国人に紛れて何とか突破することができた。後ほど何人かの空港職員に中国人を探していると言われたが、僕は日本人だと憤慨しているフリをしていたらみな見逃してくれた。だが搭乗ゲート内での喫煙所ではみな火がないため、口移しで火をもらうことになってしまった。仕方ない。ネパールでは度々結婚しているかと訊かれることがあったが、よく考えれば世界では僕の歳でも結婚している人が何割かいる訳なのだ。20歳で妻子も持たず、1人で海外を放浪している僕はかなり自由人に映ったかもしれない。