ルアンパバーンからチェンマイまでは合計で23時間かかり、バスをいくつも乗り継ぐ必要があった。ただでさえ人口が少ないルアンパバーンの郊外にあるバスステーションまで徒歩で2時間かけて向かい(ひたすら現地田舎)、道中でタバコくらい売っているところがあるだろうとタカを括っていたのだが大後悔、どこも国産物しか置いておらず、途中で小さな空港に寄り、何とか洋物を目にかけることができた。バスで1泊してから国境を越えることになるのだが、またもこのバスもシングルに男2人計算のバスだった。バスを降りてからがわかりにくく、オフィスに聞けば国境までの手段をチャーターしてくれたのだが、同乗していたアジア女性(顔と英語力からして台湾に違いない)は全てを僕に聞いた挙句結局チャーターされずにトゥクトゥクを自費で使う羽目にあったという旨の愚痴を後に溢してきた。最初からオフィスに聞いてくれよ知らんて。出国、入国手続きに少し手こずってしまいタイ側のバスを逃してしまっていたらしく、チャータートゥクトゥクのおじさんの奮闘のお陰でギリギリ途中で拾ってもらえることとなり、予定通りチェンマイに到着した。
チェンマイは新市街と旧市街に分かれており、どの国の相場と違わず旧市街の方がホステルなどは安い。面白いのは旧市街が正方形にまとまっており、一部に門(ターペー門)が建設されている所である。やはりタイは東南アジアの中でもトップクラスに発展しており、コンビニを街中に度々見かけるため助かった。物価もまだ安く、治安も良いため(大麻は法で禁止されたにも関わらず店はまだまだあった)日本人には居心地が大変良い国であろう。21時からムエタイの試合があるというので見に行くことにした。それまではナイトバザールで時間を潰し(置いてる物はルアンパバーンと同様なかなかに良い)、会場に入る。観客はほとんど欧米人であり、21時に始まり0時過ぎくらいに全9試合が終わるようだ。迫力がありとても面白かったのだが、深夜特急に書かれていたムエタイ会場の賭けはないようだった。やはりスポーツは賭けを導入した方が観客は盛り上がるものであろう。時代の変遷を感じる。翌日の昼は愚にもつかない寺院巡りをして時間を潰し、夕方チェンマイ発早朝ドンムアン着の鉄道に乗り込んだ。ケチって3等車にしたため、寝台列車と謳っていながらも寝転ぶことはできずカチカチの椅子で寝なければならない。幸い窓は全開であるため風は通り暑いことはなかった。なぜか車窓は無限に見てても飽きない魅力がある。タイの郊外を見ながら物想いに耽り、気付かぬうちに眠りに落ちるのである。世界を、地球を満喫しているようで趣味な時間である。気のせいかこの旅のバスや鉄道など左側の席が多いように感じる。目が左を向く時は過去、右を向く時は未来の事を考えるというが何か関係はあるのだろうか。結局僕の隣は誰も来ないようなのでカチカチの椅子に無理矢理丸まって寝ることにした。窓が開いており涼しいのは結構なのだが、外から埃やら虫やらがしょっちゅう入り込んできてなかなかに鬱陶しい。白い服も少し黄ばみ、身体中からはしばらく血のような匂いがするようになってしまった。僕の想定違いでインターネットが途切れてしまい少し焦ったが鉄道ドンムアン駅と空路ドンムアン空港は直通で助かった。
ここで空路を使うのは少し不本意である。本来はラオス、タイの西側に国境を接するミャンマーに流れるつもりだったのだが、4.5年前にアウンサンスーチー政権が軍事クーデターにより転覆し、ミャンマーが軍事政府に支配されてしまった。しばらくは国内の情勢が安定せず、日本政府が危険レベル2に指定し、大使館に問い合わせたところ陸路の国境は全て閉じてしまっている、とのことだった。つい1年前までは国境が開いているという情報があったのだが、何せ国境は生モノ、情勢に大きく左右されるのだ。現在国境が閉じているおそらくの原因としてタイがミャンマー軍事政府との国境に電力を提供しなくなったこと、元々電力をタイ側に依存していた国境を報復としてミャンマーが閉めたという一連の流れがある。生憎であるがミャンマーはこの横断旅では飛ばし、ついぞ憧れの都市、ネパールのカトマンズへと向かう。