タイミングの悪いことにカンボジアとタイが国境で軍事行為を行った為、陸路国境も封鎖されてしまった。なのでカンボジアの次にはラオスに行くしかなかった。ラオスはアジアで第4の貧国であり、国民の平均年収は月9万と言われている。また、世界で最も爆撃された国であり、現在でも8000万発の地雷が残ったままのようだ。
カンボジアのシェムリアップからラオスのパクセーまでバスで移動したのだが、ラオスへの入国が少々厄介だった。カンボジアとラオスどちらの国籍にも属さない外国人が全て後回しにされるだけでなく、国境を通るのに賄賂が必要となるのだ。額で言えば2US$ほどなのだが、日本にはない感覚であるため抵抗がある。これは他の国籍人も同様らしく、同乗していた韓国人、ブラジル人、ニュージーランド人(この人はちょっと有名なYouTuberらしい)とも愚痴が共有できた(ブツクサ言い始めたのは韓国)。
ラオスの道は酷いものだった。ノソノソと牛の大群が道路上を歩いているためクラクションを鳴らして退かさなければならず、路上に石が多く落ちているため常に車体に跳ね返ってくる音に耐えなければならず、挙げ句の果てに運転も荒かった。
何とかバスが3時間ほど遅れてラオス第二の都市、パクセー(人口10万人ほど)に到着したのだが、19時を少し回ったに過ぎない時間なのにも関わらず、街はぐっすりと寝ているようだった。両替所も街で1ヶ所しかなく、空いているレストランを探すのも難儀である。これは翌日の昼も同様であった。深夜バスで首都ヴィエンチャンまで向かうため、夜まではパクセーで時間を潰さなければならない。街を貫くあまりに雄大なメコン川を見ているのは気持ちよかったが、時期的にも雨が降ることが多く、5分毎に土砂降りと晴れを繰り返す天候には振り回されてしまった。現地人が傘を持たないのも納得である。傘を持っていても荷物にしかならないためだ。何とか時間を潰し、深夜バスに乗り込む。30分弱遅れてしまったのだが問題はなさそうだ。バスは寝台バスと謳っているほどなので当然寝ることができるのだが、バスの横幅に通路挟んで4人or通路なしで5人並んで寝るように設計されているので隣のオッサンと隣り合って寝ることとなる。気になる人は気になってしまう造りであろう。
寝ているうちに世界一何もないと言われている首都ヴィエンチャンに到着した。観光という観光はホステルのチェックインまでに終えてしまい、やはりここでもメコン川を見て時間を過ごすことにした。ボーッと自然を見ながら様々なことを考える。ただ、日本を出てしばらく経った今、日本のことを考えることはなくなった。反対に自分が現在いる国や周りの国について考える割合が増えた。現地人に寄ってきたのだろうか。日本はあくまで島国であるため、経済面以外で諸外国に影響を及ぼすことが少ない。日本に残したものに対する思いが自然と薄れているのも原因の一つとしてあるかもしれない。どちみち精神衛生上は良いことだ。アンコールワット以降かなり良い思考に切り替えれているのは自覚している。そんなことをぼんやり考えいるとオーストラリア人が話しかけてきた。最初は周辺国の情勢や旅の仕方についての話をしていたはずなのだが気付けば女の子の値段を通じての物価の評価に話が変わっており、オジサンでも中身は若いのだと印象が大きく変わることとなった。この平和なヴィエンチャンにも安くてあるらしいが控えておいた。
ラオス最後の目的地は街全体が世界遺産に登録されており、仏教と共に生きる街として有名なルアンパバーンに向かう。