昨日は世界が曇天に覆われているような気分だった。最も、異常なほどの熱気と直射日光の中、長時間歩き続ければ仕方ないことであろう。
広州はメトロの全駅に存在するのではというほど大量の大型商業施設の中にポツンと歴史的建築物が佇んでいるというような雰囲気であった。また、高層ビルが立ち並ぶ中にも必ず公園などの自然を忘れずに配置しているため、気付かぬうちにかなりの距離を歩き回っていた。ただ、歩き回って見た建築物は、歴史的というには少し不十分な感じがした。広州の歴史からして仕方はないのだが、戦国の七雄を統一した秦の始皇帝は首都を咸陽に置き、王朝を転覆させ漢を建国した劉邦は首都を長安に置き、また呉を建国した孫権は首都を建業に置いた故、広州は古代中国では対外貿易の地とのみ見做されなかったと言える。中世からは珠江の恩恵を受け、海上シルクロードの拠点となったようだが、あまり僕の気を引く時代ではなかったため詳しくはない(南シナ海に流れ込む珠江により形成されたデルタ地帯は地図で見ると興味深い)。近代に入り、一度はアヘン戦争でイギリスに占領されているようで、それ故街並みは一部ヨーロッパ基調であった。辛亥革命で孫文により一度は広州も共産党政府を設立したが、長くは保たなかったようだ。現在の広州に残っているものは近代以降のものであった。近代以降の建築物にあまり心が動かされなかった僕の問題かもしれないが、もう広州に長居する気力は残されていなかった。翌日から再び移動を開始する予定を立てた。
広州に限らず、中国では漢字が用いられるため、文面をある程度理解することは可能だが、一部紛らわしい意味違いがあることに気付いた。「城」といえばショッピングモールなどの大型施設を指し、「酒店」と言えばホテルを意味するようだ。これを知らなかったためにかかった労力もいくらかあろう。
最後に広州の大目玉観光地である広州タワーを訪れることにした。今まで分散していた中国人達がついに1ヶ所に集まったような賑わいであった(この理由は後にわかることとなる)。広州タワーは珠江に面しており、カラフルに電飾された広州タワーと、川を跨いでの巨大ビル群が観光名所たる所以らしかった。いざ見てみると、タワーはどこの国にも一つはありそうな代物だったが、急成長したアジア特有のビル群は格別だった。夜訪れたというのもあり、圧巻であり壮観であった。おそらく日本では存在しないような規模であり、開いた口がしばらく塞がらなかった。専用の地下鉄で川を跨ぎ、ビル群の麓にあるひたすら広大な広場にも行くことができたが、やはり感動しない訳にはいかなかった。
中国人が国内の旅行客も含めて一堂に会して広州タワーに集まっていたのにはきちんと理由があった。20時30分から1日に一度の噴水ショーが始まるらしい。僕は偶然その時間帯に居合わせたのだ。ショー自体は2分で飽きてしまう程度のものだったが、雰囲気も相まって楽しむことはできた。だがしかし、あることがきっかけで今まで良い国だと思っていた中国の印象がガラリと変わってしまった。
人が密集した際の民度である。今までは広大な土地に人が満遍なく存在している場所に滞在していたため、特に困らなかったのだが、どうもここまで人が集まると本性を発揮するらしい。メトロに乗る際も降りる人を待たずに我先へと電車の中へ突撃し、椅子に向かって走り出す。子供連れは特に最悪だった。自分の子供を座らせるために親まで奮闘する。ひたすら我に忠実に動く愚衆愚民を見ていると醜さによる嫌悪感と同時に腹立たしさを覚えてしまった。同じ見た目をしていること、彼らが世界に飛び立っていること、全てが残念としか言えなかった。日本よりも近代的で素晴らしいと思っていたゆえに、最終日にこのような思いをするのは無念だった…