本当の経歴2 両親からの虐待そして困惑〜 | 境界性人格障害・不安との闘い24時 あきらめないで・・・「アダルトチルドレンを生きぬき」

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境界性人格障害・アダルトチルドレン・不安とパニックの日々。それにともなう心身症。精神的虐待、身体的虐待、性的虐待の全てを生き延び、子供時代を今だからこそ語れる真実の話。

両親は私が物心ついた時から、仲が悪かったので、両親の普通の会話というものをこのかた聞いた事がない。イライラをぶつけ合うけんか腰の会話 or 完全に激しい喧嘩 or 完全無視 のどれかであった。

度々、両親の喧嘩にも使われた小さな子供時代を過ごした。
キッチンのものが破壊されて、床がガラスまみれになる、窓が割れる、等があっても小学生低学年くらいでは泣きながらも平気でその片付けはしていた。
両親は、わざと両極端の命令をした。母「手伝いをしなさい」父「手伝いなんかするんじゃない」や、母が私の宿題をみていると、父「宿題を母親にみてもらうな。部屋へ行け!」など。父の母へのいらだちの見せつけとし、いけにえ化されていた。小学3年くらいでは、父はシャツのアイロンがけや朝食の準備など私に命令し、怒鳴りつけていた。それも、母への当てつけとしてみえるように。そして、その被害からいっさい私を守ろうともしない母がいた。同じ家にいるのに完全に無視である。夜に一人、父のワイシャツにアイロンをかけ、朝は誰よりもはやく起きて朝食の準備をし(父を怒らせないで、なんとか家庭が平和でありますよにといつも祈りながら・・・)妹、弟を学校にやると、一人暗い母が寝ている寝室を横切り、声もかけられことなく小学校へ向かうという日々がしばらく続いた。それでも、私が怒りや不満を爆発させる事は許されない。そうすると簡単にも母の手がとんでくるのだから。だまって耐える意外ないのだ。

両親は、とにかく気が狂うくらい仲が悪かったし、どのくらいお互いを憎み合っているのかをまじまじと見せつけられた。
「あんなバカ女になるな!!」 酔っぱらった父の怒鳴り声は私の心臓の鼓動を早めた。それでも、恐怖で何一つ言葉はでて来ない。

母が、ある夜「お願いついて来て!!」と頼む。私は拒む。
弟が行く事になる。夜の飲み屋街の街。。。。

週末のフェリー乗り場。旅行から帰ってくる父を待ち伏せする母。女が一緒に出てくるぞ。子供の私には胸が張り裂ける思いだ。誰にも相談できない。誰一人にさえできない。
先生一人でもいいから気づいてくれないのかなぁ~ こんな日々を送る子供に。

家の電話がなった「今女といた!!「でもに逃げられた!!もう少ししたら帰る」深夜の電話での聞きたくない親からの報告。心配で胸が張り裂けそうな私の気持ちなど 何でもないことだ。そのまま、それについてフォローも受けた事がないが。私の辛さを話そうとすると親はとにかくキレた。そんな終わった話を話すんじゃない。必死に忘れようとしているのにお前のせいで嫌な思い出を思いださされる。
私の中では何十年も生き続けるトラウマとなっているが。親としては、さっさと忘れたい夫婦の一幕でしかない。

両親は、約5年前に別居をはじめている。
その決定的理由は、母が家で寝ていた。朝、女の声が洗面所でする。母は洗面所に急ぐ。そこには父が夜の間に連れ込んだ女が泊まっていて朝から洗面所にいたのである。このドラマのような話は私にとったらドラマでもなく、真実のなにものでもない。でも、うちいつもこうだから。外の人にばれないように仮面顔でいる事だけがいつも要求されてきたじゃないか。そうだそうだ。私の感覚はマヒしかけていたのかもしれない。