このブログをご覧いただき、有難うございます。前回はジャニーズ事務所がいろんな失敗を活かして、究極のアイドルユニット「SMAP」にたどり着いてという話を書きました。


今日はその具体的な例を挙げて行きます。相変わらず、かなりマニアックになります。但し、これは直接ジャニーズの関係者に聞いたものではなく、雑誌などの記事を読んだり、テレビでの活躍を私なりに分析したものですので、その辺をご理解ください。


ジャニーズ事務所は1970年代から、アイドルタレントを世に出してきました。フォーリーブスはそのようなユニットがなかったので、一気に人気を得ました。それまで、橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦が御三家と言われ、ソロでの歌手が人気を得ていました。その前後、グループサウンズ(GS)ブームがありましたが、一度にたくさんのグループが出てきて、その中で特に際立っていた人だけが生き残っていきました。


そんな中、フォーリーブスはGSとは違うユニットとして受け入れられました。そして、新たな商品として市場に投入されたのが、「郷ひろみ」でした。彼はまずNHKの大河ドラマ平家物語の源義経役でデビューし、市場に導入しその存在を訴求しました。

その後、「フォーリーブスの弟」というコピーで、フォーリーブスがアシスタントとして勤めていた番組などに頻繁に露出してきました。この、初めはドラマで市場に投入し、その反応によってデビューさせるという方法は、今でもジャニーズにおいて力を入れている新人の売り出し方として引き継がれています。

たのきんトリオが金八先生、しぶがき隊が仙八先生など、まずはドラマに出してその評判によって、デビューさせるという手法が確立されました。つまり、導入前にマーケティングを行い、この商品がどの位世の中に受け入れられるかによって、販売方法を決める。これは、どの世界においても当てはまる方法ですし、やみくもに市場投入する前に、市場の反応を見てから高い販促費をかけるかを決めるというものと同じです。


田原俊彦、近藤雅彦はソロで行けると判断しソロデビューさせ、野村義男は時間をおいてバンドとしてデビューさせたり、市場の反応を見ての投入を行ってきました。


その後も、ジャニーズは次々とアイドルを世の中に投入して行きました。ところが、その手法で市場に投入するだけの戦略に、に限界を感じて郷ひろみはジャニーズを去り、バーニングプロに移籍し、自分という商品を高めていきました。しぶがき隊も売れなくなり、いずれ解散の憂き目にあいました。


さらに、レコード大賞を受賞するほどの人気とテレビ局への影響力に至ったジャニーズ事務所においても、人気を維持し続けるタレントを育てることはできませんでした。例えると定番商品を持てずに、次々と新商品を投入してはその商品が飽きられるまで、売れたら良いという戦略だったのです。


ところがその戦略だと、市場投入へのコスト市場に浸透させるためのコストに見合うリターンが回収できるかどうかという状況でした。そこで市場に侵透した商品が、さらに市場に受け入れ続けられるように取り組んで成功例が、SMAPです。


長くなりましたので、今日はここまでにします。さらに続きます。