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前回までに日本の高度成長期にプロレスが日本に導入され、娯楽の少なかった時代に「アメリカ人を倒す」という国民の潜在ニーズを刺激し、テレビジョンの普及と共にプロレスは野球、相撲に次ぐ人気スポーツとして市場を創造し、その後家庭用テレビの普及が進み、プロレス中継が庶民の娯楽として定着し、市場が拡大してきた事を書きました。


市場が拡大すると、当然新規参入が現れてきます。特にプロレスの場合、第一人者の力道山が急死した事もあり、内紛やトラブルによって「日本プロレス」から「東京プロレス」や「国際プロレス」が派生して現れてきました。


日本プロレスから「アントニオ猪木」を引き抜いて旗揚げした東京プロレスは、いろんな問題があったためテレビ中継がつかずにすぐに破綻しましたが、TBSの中継を得た国際プロレスについては日本プロレスとは違う戦略でガリバーである、日本プロレスに挑んでいきました。


日本プロレスでは、吸血鬼「フレッド・ブラッシー」、鉄の爪「フリッツフォン・エリック」、4の字固めでご存知の「ザ・デストロイヤー」など、アメリカ人レスラーを悪役(ヒール)とし、日本人がその強豪レスラーに挑み、若手レスラーはコテンパンに倒され、エース級は引き分ける。またはタッグマッチで、エース級以外のレスラーが倒されるというストーリーで人気を獲得する、保守的な戦略でした。


一方の国際プロレスでは、外国人レスラーの人間風車「ビル・ロビンソン」をエースにしたり、元アマレス出身でテクニックのある「サンダー杉山」を雷電ドロップなどコミカルなレスラーにしたり、後のアンドレ・ザ・ジャイアントになる「モンスターロシモフ」の招聘、金網デスマッチの興行など、より娯楽性の高いショービジネスとして日本プロレスとの違いを売りにして行き、一時は結構な支持を得ていました。


これは新たなニーズを掘り起こしニッチ市場を狙って一定の効果を上げる戦略として市場を広げる事になりました。そのようにして拡がったニーズに、日本プロレスも対応していき、国際プロレスの競争力が低下していきました。


そこに、日本プロレスからアントニオ猪木が脱退し、新たな商品を開発して市場に参入していきました。自動車産業に例えれば、トヨタ自動車が「日本プロレス」、日産自動車が「国際プロレス」だった中に、本田技研的な「新日本プロレス」が現れました。


家電メーカーに例えれば、日本プロレスが松下電器、国際プロレスがサンヨー、新日本プロレスがソニーといった感じでしょうか?



※上記はあくまでも戦略での分類であって、企業の歴史や背景に基づくものではありません。

この項続きます。