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昨日お試しで書いた、「プロレス嗜好心理学」が予想以上に評判がよく、「いいね」をたくさん頂いたので、調子に乗って続きを書くことにしました。以前、ジャニーズでマーケティングを考えた記事も書いていましたが、それも今度続きを書こうかと思っています。


さて、昨日は力道山が日本で「プロレス」を始めた事を書きました。言わば、力道山はベンチャーを立ち上げた起業者なのです。そして、日本にプロレスというショービジネスの市場を創造したですね。余談ですが、なぜ力道山がプロレスを始めたかについて書きますと、相撲で圧倒的な強さで関脇まで行った力道山は在日朝鮮人だったため、当時の角界では横綱にはなれないと思い、角界を引退しプロレスを始めたのです。今の角界とは大違いです(笑)。


前回書いたように、日本人の「アメリカに負けてたまるか!」とか、「アメリカに対する劣等感」心理を突き、アメリカ人レスラーを倒すことで、圧倒的な支持を得ました。


そして、人気絶頂期に力道山が死亡し、残された2人の若手レスラーが次のプロレスを支えていきました。ご存知、「ジャイアント馬場」「アントニオ猪木」です。2mを超す巨体のジャイアント馬場は、アメリカ人レスラーよりも大きく、しかも元プロ野球選手(巨人軍の投手)だった程の運動神経の良さで、人気を得ました。


一方、アントニオ猪木は1m90㎝と、決して小さくはないのですがレスラーとしては普通の体格で、自分よりもはるかにはるかに大きい、ジャイアント馬場とは違う多彩な技やテクニックで従来の体のぶつかり合いだけのプロレスとは違う戦いで新たなプロレスファンを獲得し、また甘いマスクで女性ファンも増えてきました。


これをマーケティング的に解説すると、力道山が作った「プロレス市場」はマーケットへの導入期を理想的な形でスタートし、成長期に入ったところで最大の人気商品が突然市場から消えたところに、新しい商品をミックスして新たな市場を開拓しながら成長していったと言う事です。


このころはスポーツと言えば、野球(巨人)、相撲くらいでした。アメリカ人を倒すという日本人同士の戦いでは得られない喜びが感じられるプロレス市場は拡大していきました。高度成長期の日本において、少しずつ日本人にも活力が生まれ始め、自信を取り戻してきた時の娯楽として、テレビでのスポーツ中継はしっかりと市場に浸透し、さらに拡大を続けていきました

そのころ、始まったテレビ番組として「水戸黄門」「サザエさん」「笑点」があります。残念ながら、「水戸黄門」は終わってしまいましたが、あの分かり切ったストーリーが人気を得ていたのは、苦労して頑張っている人を最後には助けるという勧善懲悪だったからです。終わりが安心して見られる点で、プロレスも同じようなストーリーを展開して、人気を博していきました。


次回はプロレスが人気が安定した一方で、高度成長期から安定成長に変わり、娯楽が多様化した時代にプロレスがどのような市場戦略をとって、さらに成長していったか書きたいと思います。


この項さらに続きます。