2011年1月17日。 | Diary of For Tomorrow.

Diary of For Tomorrow.

このブログ記事の内容は株式会社夢ヶ丘研究所から発信される数ある見解の中の1つです。

今日で「ほにゃらら・あわじ大震災」から17年になりますが、
今日は「防災とボランティアの日」でもあります。

昨年のきょうの記事では「BCP」などについて取り上げましたが、
今年は昨年の東日本大震災の影響について取り上げます。

あの日(3月11日)の当日は社内で震災があったことの情報を確認しつつ、
通常通りに帰宅したのは言うまでもありません。

コレがとーきょーだったら、帰れナイ状況だったと思うとゾッとします。
これこそ「帰宅難民」と言うモノで、もし大阪に東南海・南海地震が起こっても
私は自宅まで歩いて帰れる距離(直線距離で約15km)にはありますが、
「帰りたくなるのが人間の心理」ともよく言いますが、「その日」にカエルのは
極力控えたいモンです。※特に「自動社でカエル」のはチョーご法度です。

当日のとーきょーはNTT線が終日運休するなど、帰宅困難に拍車を掛かり
コッコー省や沿線自治体から苦情が来たことでNTT東日本上層部が猛省し
非常食や滞留施設の確保など今後の対策法を検討するようになりました。

お見舞いのための電話などの通信の輻輳は抑制することは出来ましたが、
今年の日付(1日)に変わった時あの「バルス」騒動の時でも止まらなかった
Twitterが下の絵のように止まったことは非常に憤懣しております。

$「あす」への歳時日記(Diary of For Tomorrow.)-imomushiあおむしの絵」

しかし、ほにゃらら・あわじ大震災の当時と比べるとIT化のスピードが
想像以上に早くなったことは隔世の感があります。

特にK帯の利用方法が電話からバケット(データ)通信にとって代わって
各K帯会社にとって通信障害が起こるなど、頭痛のタネにもなっています。

K帯会社と言えば、きのう英雄がこーべに本社を持つ珈琲会社のような
ロゴに変更した件で、その珈琲会社から苦情が出て欲しいと思います。

結論として、ドコの会社にも「ある程度の危機管理が重要である」と
申し上げきょうのお題とします。