衆議員が遂に解散された。政党の分裂と乱立の中で、政党とは何かが問われる選挙でもある。3年前の衆院選では民主党が圧勝し、鳩山首相が颯爽と登場した。そして停滞した自民政治に、風穴を開けるかに見えた。しかし今回の総選挙にその鳩山氏の姿はない。まさに無常である。

 

 公開された事業仕分けは民主党政権の可能性を期待させたものの、その後は迷走が続いた。やがて「決められない政治」というレッテルを貼られ、ついに解散に追い込まれてしまった。

 

 前回民主党は選挙時の公約をマニフェストといい換え、それを脱官僚・政治主導で実現すると発表した途端、メディアは内容もよく吟味しないまま、そのお先棒をかついだ。その結果国民は易々と乗せられてしまったわけである。

 

 ところがメディアはそのことに反省の色も見せず、掌を返すように民主党批判に転じている。だが、それも止むを得ないと思わせる珍事が続発している。そのひとつに田中真紀子文科相の政治主導を勘違いした暴走があった。

 

 田中大臣は、明春文科省の定めた手続を経て開学が認められるはずの3つの大学を設立を、突如不認可とした。官僚が勝手に決めたことを自分は正す、という心意気であったらしい。そして不認可の理由として、少子化の時代に大学の数が多過ぎること、定員割れを起こす大学や経営不振から廃校を命ぜられた大学があること、などをあげた。

 

 これではまるで国家試験に、採点の結果すでに合格点が与えられているのに、発表直前になって、試験問題が易しかったとか、解答時間が長すぎた、などの理由で不合格にするのと同じである。法治国家である以上、いくら大臣でもこんな理由が通るはずがない。大臣は慌てて前言を翻し、3大学を認可し、その責任を文部官僚に押しつけた。とんだ脱官僚である。

 

 政治主導というなら、まず現行制度の問題点を、その審査過程も含めて精査すべきてあろう。そして将来的展望をしっかり踏まえて新制度を構築させることである。また政治の要諦として、制度改革の場合混乱を避けるため、経過措置を万全にしなければならない。

 

 それにしても今回の騒動で、新設校は問題があるとの誤解が生じたのは残念だ。秋田の国際教養大学などは、開校8年目に過ぎないが、トップレベルを疾走しているからである。

 

 田中大臣の大学改革の方向性は間違っていない、などとまだ持ち上げるメディアがある。だが落第生が急に勉強計画を立てても信用する教師はいまい。資質がないのにメディアの露出度が多いことで、当選する議員が政治を悪くしている。メディアの世論調査も結果的に世論操作になっていることを警戒すべきだろう。

 

(天台ジャーナル第117号・コンパス