** 徹の部屋 **

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ようこそいらっしゃいました!
Tetsu Kuroiwa、俳優です。                      

先日、59歳の誕生日を迎えました。

お忙しい中、SNSを通して沢山の方からお祝いのメッセージを頂戴しました。ありがとうございます。心より御礼申し上げます。

この正月に、たまたま古いアルバムを見ていたら、懐かしい写真が沢山出て来ました。自分は環境なんかに左右されないと気取っていましたが、当時の自分の服装や髪型は、世相や流行の影響を強く受けていました。口ほどにもありません。

そんな自分を見るのは恥ずかしくて好きではありませんが、写真を5~15年間隔くらいでで見ると変化が良く分かって面白くもあります。


笑えますね。不機嫌そうな16歳。目付きが挑発的で好感の持てない顔です。

今思えば、高1、高2の2年間は暗黒の時代でした。打ち込むものなど何もなく、何をやってもつまらなくて、軽薄で無責任で、無意味なスリルばかりを求めていました。

そんな怠惰な毎日の中で唯一心が踊ったのは、世界チャンピオン具志堅用高さんの、あの美しいボクシングを見る時だけでした。大学でボクシングを始めたのは100%具志堅さんの影響です。


それから7年後の23歳です。大学4年生。すっかり鼻も曲がってしまってますね。下手くそだった証拠です。

大学2年の時に、とある音大との5対5の合コンに参加しましたが、後にも先にも、人生で合コンに参加したのはこの1回だけです。学生らしい遊びをすることもなく、ボクシングに全てを捧げた4年間でしたが、後悔などは微塵もありません。


写真に92年9月と印字がありますから、31歳ですね。知識も経験もないくせに、根拠のない自信を振りかざし、社会から厳しい洗礼を浴びた20代が終わり、やっと世の中の仕組みが分かり始めた30代入り口の頃です。

前年の91年にロンドンに赴任し、その後の7年間を海外で過ごしました。ローマのトレビの泉の前で、平和そうな顔でのんびり写真なんか撮ってますが、その2年前にバブルは崩壊。株も不動産も大暴落し、日本は先の見えない真っ暗なトンネルに突入していました。日本経済が加速度的に疲弊していくなか、この平和な写真の5年後には勤務先の山一證券が破綻。その後も大きな銀行が次々と倒れて行きました。

この時代を生きた人々はみんな大変でした。悲しい沢山の人間ドラマも見てきました。

30代の10年を、経験したくても経験することが出来ないであろう時代の中で過ごしました。しかしこの時の経験が、結果的には、その後の人生に大いに役立つこととなりました。


山一證券が破綻してほどなく、モルガン・スタンレーという米系の投資銀行に入社しました。37歳の時です。この写真は、2007年9月と印字がありますから、46歳ですね。入社から10年ほど経った頃です。

この会社で任されていた仕事は、日本では、ほとんど誰もやったことのない分野の仕事でした。仕事自体も魅力的でしたが、大勢の、非常に優秀な同僚に恵まれるという稀有な幸運もあり、50歳で役者の道に入るまでの13年間は、嬉々としてひたすら仕事に打ち込みました。

写真の私は、外見を若く見せるため、白髪だった頭を黒く染め、自信を示す真っ赤なネクタイをしています。プレゼンをする機会が非常に多かったので、スーツやシャツ、ネクタイや靴などにも細かな気を使っていました。今で言えば、「舞台衣裳の力を借りる」ような感覚でしょうか。

脇目も振らず仕事に没頭した13年でしたが、沢山の無形の財産を得ることが出来た、人生においてとても貴重な13年だったと思います。


この写真は、前の写真から11年後、役者の道に入って7年目、まあほぼ現在の姿です。昔に比べると柔和な表情にはなっていますが、まだまだ、隙だらけの未熟な顔です。

必然なのか偶然なのかの議論は不毛ですが、どこに繋がるのか分からない、予想もしていなかった道が突然目の前に現れ、それを信じて進むとまた未知の世界へと繋がる道が現れる。人生って、その繰り返しですよね。

外に一歩出ると、今日にでもまた新しい道が現れるかも知れない。そう思うと、生きていることが本当にいとおしく、楽しくなってきます。

皆様からの誕生日のメッセージを拝読しながら、そんなことを思いました。幸せを、改めて実感しました。

皆様の温かいお心遣いに、心より感謝申し上げます。

ありがとうございました。