渋谷がトタンやバラックだらけだった混乱期、終戦直後、

武彦は文学の志と病魔の間に実存を引き裂かれ、

妻澄子は生活の窮状から精神の平衡を失す。


長男 池澤夏樹の手で蘇る、若き文学者の壮絶な内省。


http://www.shinchosha.co.jp/shincho/tachiyomi/20100907_2.html


【新発見】「福永武彦戦後日記」

第一の日記 一九四五年九月一日~九月二十一日、十二月三十一日

一九四五年九月一日 帯広にて
 明日、僕は遂に此所を立つて東京に嚮ふ。八月の上旬から僕の心の中で熟れてゐたものは、今こそ一つの決意として晶化された。もう切符は二十八日に買ひ、チツキ[鉄道などで、旅客から手荷物を預かって輸送するときの引換券。また、その手荷物。Checkから]は昨日発送された。今はもう後を振返るべきものはない。
 さうだらうか。最初の決意から四週間近い日が流れたのは、果して戦争が終り、僕の無意識のヘロイスム[héroïsme 英雄的精神、勇壮さ]が満足されないためだつたらうか。此所には澄子がゐる、そして生れてもう五十日になる夏樹がその無心の笑で僕を引止める。勿論東京の食生活の不自由さは今から明かに予想されるし、東京に行つてもまづ住む処から探し廻らねばならない。それが僕の心に一寸した不安を与へることも事実だ。しかし色々のものは、今こそ僕の決意の前に姿を消すだらう。澄子への愛も夏樹への愛も。それは結局僕の東京行、僕の直面すべき大都会の孤独の中で、大きな愛として復活するだらう。
 僕は此所で五ヶ月の間屈辱の歴史を編んだ。僕は自由を覓(もと)めて行く。大都会に敗戦の現実を探りに。そこの如何なる苦しみも、僕がdroit de l'homme[人権、尊厳]をふみにぢられた此所の生活よりは自由だらう。此所の生活で、僕の苦しみと澄子の苦しみとが互に愛情を新にさせた。僕等は再び昔の情熱を思ひ起した。しかし今は、それは静かな陰鬱な愛情だつたが。
 何時の日に僕たちはまた一緒に家を持つことが出来るだらうか。日は近さうでもあれば遠さうでもある。僕たちは遠く離れても、苦しみを理解し合ひ、愛情を通はせるだらう。
 僕はこの二、三日の忙しい中につとめて夏樹を抱いた。その胸にもたれる重さを記憶し、無心の微笑を脳裏に刻み込むために。
 この微笑は、苦しい日の僕の最もよい慰めとなることだらう。夏樹よ、元気に育て。