「週刊ポスト」5月6・13日号の



曽野綾子さんの



タイトルコラムを



読んだ。



世界の極貧地



あるいは



治安の悪い



ところを



周っておられる



曽野さんには



今回の大震災の



問題は



このように感じられるのかと



思った。



まず福島第一原発周辺の



居住の問題。



曽野さんは



チェルノブイリ原発事故から



13年後に



ベラルーシの跡地を



訪問されている。



「そこももちろん



公的には



住むことはできない」



しかし



「廃墟と化した



区域内には



住んでいる人は



何十家族かはいた」



「皆自分の家が



よかったのである」



そういえば



テレビで見たことがある。



「避難した方がいいかどうかを



ほんとうに決められるのは



当人だけなのだ」



「人間は体験したことのないものに



答えを出すことはできない」



早期に



お金が必要だろうから



とにかく



早く一時金を出して



最終的には



住民個々に



区域内に住むかどうか



決めてもらう



というのも



現実としては有り



なのかもしれない。



もう一つは



鉄道、道路、空港が再開し



素早く準備している



というのだ。



ただし



「政府が有能なのではない。



政治家は



どんな役立たずでも



日本人の庶民全体が



働き者で賢く



同情心があり



かつ日本が豊かな国



だからだ」



と言われる。



「ハイチでは



地震後1年余り経っても



まだ瓦礫の中で



暮らしている人たちがいる」



「廃墟を片づける重機がないのが



第一の理由だろう」



「日本では



現場技術者たちが



重機の点検整備を怠らず



ピカピカに磨いていた。



東電も同じだ」



「こんな優秀な国民を



抱えている国が



そうそうあると思ったら



とんだ間違いだ



と私は思っている」



「どうしても



元いた自分の土地に



住みたい人には



町は



『自己責任で住みます』



という一札を書かせて



勝手にさせたらどうだろう」



「終の住処は



国や社会が与える



データをもとに



自分で判断し



結論を出し



実行に移すほかはない」



そうだ。



日本人は



お人好しだけど



何でも



自分で判断せず



『お上』意識が



強過ぎるのかもしれない。



この未曾有の国難を



機に



曽野さんとまでは



いかなくとも



少し「大人の国」への



変化も



必要なのか。



ただ曽野さんは



最後に菅総理に対して



「視察の日に



ヘリに乗る前から



長靴をはいていたかどうか」



「現場に行くということは



足を濡らすということだから」



「はいていなかったら



ご当人、関係者、側近共々



物知らずばかり」



「夫人も気がきかなかった



ということは明らかだ」



政治家の役に立たぬ



パフォーマンスは





必要ないよね。



誰かが



言っておられた。



「菅夫人は



現場で炊き出しを



すればいい」と。



ごもっともだと思う。