天海　(169)

　この時、馬場昌次は高齢で既に患っていたため、山村と千村の二人が木曾に向かって出立した。しかし、牢人であった二人に従う者は数十人に過ぎなかった。そこで甲斐に入ると二人は木曽家の遺臣たちに檄を飛ばし、一族衆を集めたのである。すると甲斐浅野家にいた山村清兵衛や塩尻の山村八郎右衛門らが参集し、賽川砦で石川貞清（尾張犬山）の代官・原孫右衛門を破ることが出来た。これを見て木曽谷の代官たちは次々と徳川方に内応し、山村・千村は妻籠城に入城し、木曽谷を平定したのである。

　「其許□月十六日之御状昨廿日ニ高井土にをひて令被見候則江戸へ御状共指遣申候此中十一日心得其許之様子被為聞度之由御意候つる間又飛力被越申候つる事。（中略）

　一、我等は廿日の朝迄江戸ニ罷在遠山久兵衛殿其許へ被替候ゑくみいたし四五日中に遠久兵其地へ可有御越事

　一、遠久兵へ金子五枚渡し候て越申候ふかしにて米御調被成其地之者共かつへ候はぬやう可被成事」（「山村・千村宛書状」大久保長安八月二十一日）

　美濃岩村城の田丸直昌は小山評定の後、木曽路を通って帰還した。直昌は郡上八幡城の稲葉貞通や尾張犬山の石川貞清と連携して家康の西進を阻もうとしていたのである。

　利景が急使に呼ばれ、家康の陣所を訪れると、大久保長安が出迎えた。

　「これは勘右衛門殿、上方からお帰り間もないのに、御足労をお掛けします。」と馬鹿に丁寧にあいさつをしてくる。

　正直言って、利景はこの人物を好いていない。いや、徳川家中の武人でこの人物を好いている者はいないであろう。戦場に出ることは全くなく、総代官として君臨しており、その権力は今や絶大である。

　「お出迎え頂き誠に恐縮です。殿からは火急の要件と伺っております。」と利景は当り障りなく応じる。ここで時間を費やす気はないのである。

　広間に入ると遠山友政、小里光親、妻木頼忠らが既に座っていたのであった。

　「よう来た、勘右衛門。近江の件、ご苦労であった。あれから京極侍従と何度かやり取りをしている。」と家康は満面の笑みで迎えたのである。

　家康の横には正信と長安が座っていた。

　「皆揃ったようなので、殿からお話がある。」と長安が言った。どうやらこの評定は長安が主役のようである。

　家康の命は「皆、大急ぎで兵を挙げ、故郷に戻って恩顧の者共招集し、人数を集めて岩村に向い、田丸の兵共を押さえろ。」という事であった。

　その上で、家康は特に友政に木曽谷から東美濃に向けての道中について尋ねたのである。友政はそれに詳細に答えたのであった。

　家康はその答弁に満足したようで、長安に目配せをした。

　「久兵衛殿には木曽谷に行って山村甚平衛、千村助左衛門尉と合流し、木曽谷から美濃に入って欲しい。久兵衛殿には特に鉄砲30丁と玉薬2万個、黄金10枚を与えるので、両者と合力の上、何としても故郷を奪還せよ、との仰せである。」と長安は述べた。

　また、妻木城は今や東美濃で唯一の徳川方の城となったので、三河岩崎城の丹羽氏次らに命じて「人足600人」を派遣することを決したのである。

　「勘右衛門、お前は、大身の旗本である。後は頼んだぞ。」と言うと家康は退席した。こうして友忠は木曽谷へ、頼忠は東美濃へ出立したのである。

　利景は不安そうな光親を励ましながら、自身も出陣の準備をしたのであった。

妻木頼忠

天海 (169)

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