天海　(151)

　実は当年三月は謙信公の追善供養にあたるので、夏中には上洛するつもりであります。それまでに武具を集め、国政を整えていたところ、長盛と吉継の使者が来て、逆心がなければ直ちに上洛せよと言ってきました。赤児でもあるまいに、内府様にしても、讒言を真に受けずに、しっかりと調べれば分かることでありましょう。

　大体、逆心があっても、知らん顔して上洛すれば褒美をもらえるのであろうか。景勝はそのような世では生きづらいし、弓取りの誇りも失われるであろう。まずは讒言したものを御取調べください。

　家中の藤田信吉が出奔し、江戸を経由して上洛したとのことですが、何を申したかは知れています。果たして景勝が間違っているか、内府様の表裏か、世間が知っているでしょう。

　千言万句を尽くさずとも、景勝に逆心などありませんので、上洛の件はお断りします。まず内府様が、物事の分別を付けられるようになりましたら、上洛いたしましょう。

　太閤様の御定めに相背き、数々の起請文を反故にし、御幼少の秀頼様に誠心誠意お仕えしないのなら、たとえ天下の主となっても、悪人の汚名は残ります。これでは末代までの恥辱でありましょう。当家はそのようなことは決して致しませんので、ご安心ください。

　但し、侫人のいう事を信じ、不義のお取り扱いをするというなら、その限りではありません。

　内府様に使者を出して、物事を納めようとしましたが、隣国の侫人が色々告げ口をして、藤田も出奔して、色々悪口を言っているので、いまさら使者を出しても仕方ないでしょう。まずはお調べいただき、真実を明らかにしていただければ、我々も従います。

　なにせ遠国のため、推察も交えてお話しているので、嘘のように聞こえるかもしれませんが、これが偽らざる気持ちです。天下の人々は物事の白黒を知っているものです。

　あるいは思い違いもあるやもしれませんが、率直に書き留めました。配慮を欠いた物言いもあろうかと存じますが、どうぞご了解ください。

　追伸、噂によると、内府様か中納言様が、会津に下向なさるとお聞きしました。準備万端してお待ちしております。」

　そもそも、直江状には原本が存在せず、写本しかない。このため、内容は改竄捏造の疑いが強く、表現にも不自然なところが数多くあるというのだ。

　写本を書くにあたり、記述者に力が入りすぎ、暴走した可能性もある。特に「追伸」の部分は、後代の偽作挿入の可能性が強いという。

「来るなら来い。いつでも相手をするぞ。」というのは、確かに記述者も書いていて、気持ちが良かったであろう。

　その一方で家康が激怒して、会津征伐を決断したのも事実である。表現はともかく、直江状が家康に対する果たし状であったことは間違いないであろう。これで家康も景勝も後には引けなくなった。

　果たして、景勝・兼続は三成と共謀していたのであろうか。私は恐らくなかった、と思う。景勝は当初、本当に領国経営をしていただけであった。ただ、加賀征伐の顛末を聞いて、次は自分であることを悟ったのだ。遅かれ早かれ、家康は来る。必ず来ると確信したのである。

中川鉄二郎編『絵本関ケ原軍記』,中川鉄二郎,明20.3.

国立国会図書館デジタルコレクション

https://dl.ndl.go.jp/pid/880122 (参照 2024-04-14)

天海 (151)

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