明智秀満　⑲

　天正８年（1580年）１月9日、光秀は茶会を開いた。

　当時、織田家では相応の武将でなければ茶会を許されなかった。光秀は天正６年から年二回開催していたというから、茶会を早くから許されていたことが分かる。坂本の茶会には必ず津田宗及や今井宗久が招かれたという。宗及は連歌をよくしたため光秀とは気があったのかも知れない。

　茶会は単なる娯楽ではなく、高級武士の嗜みであり、人脈作りでもあった。光秀は和歌、連歌、茶の湯に精通し、茶道具や美術品にも造詣が深かったというから、当世を代表する文化人であったことが分かる。

　秀満や利三も光秀の薫陶を受けており、武人としてだけではなく、文化人としての素養も持ち合わせていた。

　茶会が終わると、改めて明智一族が年賀の祝宴を開いた。長い間の懸案であった丹波平定が終わり、久方ぶりの華やかな宴席となったのである。

　夜も更けて、光秀は秀満と久方ぶりに二人で盃を交わした。

　「なぁ弥平次、天下の静謐とは何だと思う。」と光秀は唐突に問う。

　「天下の秩序が定まり、諸国の争いが止むことでしょう。」と秀満はいう。

　「私は足軽が戦場で簡単に命を落とすことを理不尽であると思った。しかし足軽にすれば、他に生きる術がないのだ。長年の戦乱で田畑は荒れ果て、多くの者が村では生きていけなくなる。だから村からはみ出たものは盗賊になるか足軽になるほか生きていけないのだ。」という。

　光秀は盃を一気に飲み干すと、

　「戦乱は村の生活を荒らし、食えないものは暴力で秩序を破壊する。つまり天下の静謐には民の安寧が必要である、という事だ。政をする者は私腹を肥やさず、民を豊かにし、人々の生活の安寧を、はからねばならないという事だ。理不尽な理由で徒に命を落とすことなく、安心して生きていける世を作らなければならない。」と言った。

　秀満はこのように饒舌な光秀を見たことがなかったので驚いた。そして何か伝えたいことがあるのだろうと思った。

　「なぁ、弥平次、俺は荒木の女房衆の事を助けたかった。でも、お前はこの件に深入りすることに反対であったろう。俺には分かる。これ以上、関わると危険であると忠告したかったのだと思う。だがな、弥平次、荒木の親族はやむを得ぬとして、家来衆の女子供たちまであれ程、無残に殺す必要があったか。それが天下の静謐か、民の安寧か、俺たちは何のために命をすり減らしているのだ。非道を正すためではないのか。」と言った。

　あの場所に倫子がいても不思議ではなかったのだ。そして光秀は千草に似ていた荒木の15歳の娘を思い出していた。あの娘は懐妊していたという。我が子を抱くこともなく、斬首となった。さぞかし無念であったろう。生きていたかったことだろう。果たして、あの娘になんの咎があったのだろうか。

　常に冷静で慇懃である光秀が「珍しく酔っている。」と秀満は思った。

　「いかん、いかん、そろそろ寝るか。」と光秀が立ち上がった。その目が微かに光っていた。

　　今井宗久

明智秀満 ⑲

明智秀満　⑲