生きるのに飽きたという人がいるよね。

――いるね。わたしも生きるのに飽きた。

へえ。じゃあ死にたいの?

――まあ、どちらかといえばそうかな。飽きたから。

飽きるという表現は間違っていると思う。

――なんでさ。わたしは飽きたんだよ。

じゃあ、質問しよう。君は今充実してる?

――してない。

そうだろ。充実してる人間で人生に飽きて死にたいと言っている人はひとりもいない。

――それはそうだろうね。あたりまえのことだ。

人生をゲームに例えてみるとさ、充実している人間はゲームをうまくプレイできて、楽しめている人間だよね。

――それなら、わたしは飽きて楽しめていない人間ということになるね。

いや、そうじゃないよ。

――じゃあ何だっていうのさ。

君はうまくプレイできなくてふてくされてしまっただけだ。

――いや、飽きたんだよ。飽きた。

飽きるっていうのは、同じことを繰り返していやになることだ。君は人生を繰り返し続けていやになったのか。

――そういうことじゃない。人生なんて、同じところを往復して、同じことを繰り返し続けるだけのことだ。僕はそれに飽きた。

それをうまく楽しめなかっただけだろう。ハッキリ言うけど、人生がうまくいかないから、楽しめないから、負け組だと思われたくないから、飽きたなんて表現を使ってごまかしてるんだ。

――じゃあ何て表現したら君は満足するのさ。

なにも、ただ、毎日の繰り返しが嫌になったとか、日常が苦しくなったとか、そう言ってくれればいい。飽きたなんて言ってるのが、気に入らないだけだよ。

――飽きるって言い方は負け組みの強がりに聞こえるっていうのかい。

まあ、言ってしまえばそうだね。そもそも、飽きたのは生活であって、人生じゃないだろう。人生というのは、無限の可能性があるから、飽きる類のものじゃないはずだよ。

――人生は生活の結晶だろう。

ほんの一部であることに変わりはないよ。その一部がうまくいかなくなったからって、人生そのものを放り出すような言い方をしてるんだ。

――君はわたしに死なないで欲しいのか、死んでほしいのか、どっちなのさ。

別に、どっちでもないよ。人生って言うゲームには、電源ボタンがある。僕は、ゲームが嫌になったなら、それを押す権利がすべての人にあると思うけどね。ゲームをやったことあるなら、誰でもそういう経験、あるだろ。


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眠たい頭で脳内会話。

手というのは、顔とまではいかないが人を表す。

手のひらを見てみれば、

その人の生活、性質、果ては人生まで分かったりするのだ。

爪の綺麗なすらりと細い手の女性なら、

美容に気を使うひとであるし、

家事で荒れてしまった手は母を思い出す。

ギターへの情熱が現れた手があれば、

何もやっていないことで妙に綺麗な手もある。

農業をずっと続けている祖父の手は、

まるで野球のグローブをはめたかのようにゴツゴツだ。

今日写真を撮ったのでそのうち載せようと思う。

これはちょっぴり怖いことだが、

とても美しいことでもある。

自分のことを隠すことが出来なくなるが、

やはり職人の手というのはとても格好いい。


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