今日、世界史でキリスト教の部分の勉強をしました。

授業ではキリスト教の成立と歴史をやったんですが、

これがものすごくワクワクさせられました。

キリスト教に抱いていたボンヤリとした疑問のようなものが

何が起きていたのか知ることでだんだんと解決されるような感覚があって、

気持ち良いことこの上ありませんでした。

また、宗教に対する人間の感情の動きのようなものも感じられて、

宗教とは人間にとって何なのかが、ほんの少し分かった気がしました。

楽しかった…。

僕の考えを織り交ぜた、

キリスト教成立の歴史のまとめを書きたいので書きます。

本当に勝手で稚拙なものです。

間違いを見つけたら、ビシバシ指摘してください。


$ハイパーインド人ブログⅡ
■はじめに

キリスト教というと、

おそらく一般的なイメージは

「イエス・キリストが神様の宗教」といった感じですよね。

少なくとも僕は最近までそう思っていました。

これはある意味合っているのですけれども、そうではなくて、

キリスト教はイエスが救世主であるとする宗教のことです。

キリストとはギリシャ語で、「救世主」の意。

つまり、イエスキリストは救世主イエスという意味で、

キリスト教は救世主教というワケです。。

では、一体何がどのように救世主なのでしょうか。


■始まりのユダヤ教

ユダヤ教はキリスト教の土台となった宗教で、

原始のキリスト教はユダヤ教の一派だと考えられていたようです。

さて、ユダヤ教の特徴のひとつに選民思想というのがあります。

選民思想というのは、自分たちを神や血統などで

選ばれた特別な存在と考えることです。

こんな考え方だと、当然格差がどこかに生まれてくるわけです。

重税に苦しむ市民達を役人どもは見てみぬふりでした。

社会の下層に位置する人々は助けを求めているのですが、

それを助けることはユダヤ教にはできなかったのです。


■キリストの登場

そんなユダヤ教の弱点を突いて颯爽と現れたのがイエスです。

イエスは、「神の無限の愛は誰にも区別されずに与えられる絶対のものである」

と説きました。絶対愛ってやつですね。この考え方に、

今まで虐げられてきた、奴隷・女・下層市民の人たちは飛びつきました。

俺たち私達は救われると。救世主だと。

人民の心をピンポイントで突いた素晴らしい思想だったのですね。


■キリスト教の迫害

時の皇帝は焦りました。

突然発生した思想にどんどんと人が集まりだしたのです。

それも自分の息のかかった役人とは遠い存在の人々ばかり。

教会という支部まで設置して、

凄いスピードで帝国内に広まっていきました。

皇帝にとって、相当不気味だったことでしょう。

不安の芽は潰すのが一番。皇帝は弾圧を始めました。

救世主イエスも十字架の刑によって殺されてしまいました。

しかし、キリスト教はしぶとかった。

いつのまにかイエスは、旧約聖書にある人間が元々持っている罪、

原罪を償うために亡くなったことになり、

しかも復活したことになりました。

リーダーの死が、英雄の誕生といううことになったのです。

信者達は地下に礼拝所をつくってまでゴキブリのごとく生き残り、

教えに垣根の無いキリスト教の信者は

減るどころかどんどんと数を増やしていきました。


■国教化

皇帝が折れる時が来ました。

膨れ上がったキリスト教のサイズに

いよいよ皇帝は押さえ込むことをあきらめ、

おとなしく国教とすることになりました。

勝利も勝利。大勝利です。


■現在のキリスト教へ

その後、パウロが

「神の愛は異国の地でも有効である」として、

外国にもキリスト教を広めまくり始めました。

これがキリスト教の凄いところですね。恐るべき門の広さ。

急速に広まったことで教義がいくつにも別れたりもしつつ、

今現在のキリスト教の形が出来上がりました。


■おまけ

ニケーア公会議という、

キリスト教の教義をまとめる会議が行われたことがあります。

この会議で、三位一体論が正統であると決まりました。

『会議でキリストが人間でないことに決まった』のです。

なんだかなあ…。


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