「まさかの…」
「まさかのですね…」
気持ち良さそうにソファーに転がって眠っているユノを取り囲んだスタッフ達が神妙な顔でその寝顔を覗き込んでいる。
現在ドラマの撮影中。
チャンミンの演じるジョンヒョンと衝突してふて寝するシーンで本当に眠ってしまったようだ。
以前ユノが言っていた映画の撮影も始まったらしく、スケジュールも立て込んでいるだろうから寝る時間もなくなっているのだろう。
「まぁ、今日はもうユノさんの撮影シーン終了だけど」
彼のマネージャーは先ほどスケジュール変更があったとかで電話対応に追われているようだ。
チャンミンはその輪に入ると、無遠慮にその肩を揺する。
「ユノさん起きて」
「んー…?」
「ほら、撮影終わりですよ?ご馳走してくれるんですよね?」
「…あーれ?寝てた」
起き上がったユノがぼんやりと周りのスタッフ達を見て照れたように笑う。
周りのスタッフもユノを心配しているだけ、眠っていることを咎めているわけではないのでチャンミンのその対応はありがたかったようだ。
そっと「ありがとうございます」とお礼を言ってくれる人もいた。
慌てて戻って来たユノのマネージャーにも頭を下げられる。
「じゃあ、着替えたら駐車場で」
チャンミンに向かってそう言ったユノの背中を見て、小道具を片付けていたスタッフが微笑む。
「本当にお二人仲がいいんですねぇ」
「まぁ、よくしてもらってますけど」
性格や好みは似てはいないと思う。
けれど話していても会話が途切れることもないし気まずくなるようなこともない。
真面目でまっすぐなユノの性格や言葉は好ましいものだ。
真っすぐゆえにたまに驚くことをやってのける。
今日の夕食もそのいい例だ。
前に何か食べたいものはないかと聞かれてチャンミンは特に思いつかなかったために出した答えが
「美味い白米」だった。
夜中にやっていた美味い飯を食べるドラマがあって、それの影響以外の何物でもなかった。
その答えを聞いたユノは神妙な顔をして頷いて、二週間後。
「美味い米とすごくいい炊飯器を買った」
と告げられたチャンミンが「じゃあごはんのお供は僕が持っていきます」と大爆笑したのは当然だと思うのだ。
ユノの部屋のキッチンで組んだ腕を解いてチャンミンは袖を捲り上げる。
何度か彼と食事をしたり、泊めて貰ったりしたがユノはあまり自炊をしないらしいことは十分と悟った。
持ってきた食材をカウンターに広げて、準備にとりかかる。
シンクで米を研ぎつつユノが自作の鼻歌を披露しているのを聴きながら。
「なんですか、その歌」
「オリジナル?ごはんの歌」
「子供か!」
「お前より歳上だよ」
「知ってますよ」
ご機嫌に鼻歌だけでなく謎の歌詞まで添えられ始めたが、そこはもう放置しておこう。
面白いし。
「チャンミン何作ってくれるんだ?」
「何か汁物だけ。あとはほら。そのままですから」
明太子、サーモンの麹漬けなど瓶やパックに入ったものを並べていく。
食べたことのないものもあったが、例の彼氏によるお勧めだとキュヒョンが教えてくれたものもある。
研いだ米を炊飯器にセットしてスイッチを押したユノがチャンミンの手元を覗き込む。
「俺、やることなくなった」
「じゃあ、テレビでも観て待つだけですね」
「何か手伝う?」
「大丈夫です。もう終わりだし」
うーんと唸ったユノは「ここ、俺ん家なのになんか逆みたいだなぁ」と笑いながらリビングのソファーに沈みこんだ。
確かに、と思わなくもない。
しかし、チャンミンも既に手持ち無沙汰だ。
「冷蔵庫にビール入ってるよ?」
「…いただきます」
「グラスそっち」
キッチンに控えめに置かれている小さな食器棚を指差してユノが笑う。
彼だけならほぼ食器も使うことがないから、これくらいのもので問題は無いのだろう。
最近少し増えたのはチャンミンが使うものを置いてあるからだ。
「ユノさんは?」
「俺は飯食ってからでいいやー」
飲むことは嫌いではないがアルコール許容量が少ないらしいユノは美味しく食べて飲める量しか飲まない。
そこは学ぶべきところだなと考えつつもグラスに注いだビールを一気に煽る。
やっぱりこの瞬間が一番だ。
スマホを弄っているユノの向かいに座って残ったビールをグラスに注ぐ。
仕事の関係なのか真剣な表情で文字を打ち込むユノを見てこの状況に慣れ始めている自分が可笑しくなった。
会話が無くても苦ではないし、寧ろ安心感すら感じる。
炊飯完了の音にユノはまだ文字を打ち込みながら顔も上げずにチャンミンの名前を呼ぶ。
「ごはん炊けたー」
「はいはい。ここ誰の家ですか」
「あーはーはー!もうチャンミン住む?」
「嫌ですよ。僕絶対あなたの母親みたいになるの目に見えてます」
「おかーさん」
「ユノさんみたいな子供産んだ覚えありませんよ」
炊飯器を開けると見事なほどにつやつやの炊き立ての白米。
しゃもじを入れて切る様にほぐしていく。
このひと手間でより美味しく食べられるのなら面倒だとも思わない。
ホワホワと上がる湯気の向こうで顔を上げたユノがスマホをソファに放り投げて、こっちに来ると茶碗を出しておいてくれた。
「わー。美味そう」
「ですね」
「おかーさん。俺ちょっとでいいよ?」
「誰がお母さんだ」
それでも希望どうりふわりと盛った茶碗を手渡すと、ユノは小さく笑う。
「チャンミンは大盛にしろよー。もりもり食べてるの見てるの気持ちいいから」
「なんですか、その理由」
言われなくてもと盛った茶碗にユノがまた笑う。
楽しそうだからいいだろう。
結局。
炊いた白米は綺麗に無くなった。
持ってきた「お供」はどれも美味しかった。
軽く盛った飯で足りるはずもなくおかわりしたユノもそこそこの量は食べている。
テーブルを片付けて洗い物をしていると、腹を擦りながらソファーに背を預けていたユノがよいしょと掛け声をかけて立ち上がるとリビングから出ていった。
最後に洗ったグラスを伏せると、ブランケットを抱えて戻ってきたユノがソファーにそれを下ろした。
「泊まっていくだろ?ここ置いておく」
「ありがとうございます」
「今日は旨いもの沢山食えたし、こっちこそありがとなー」
そう言って笑う。
「おー。キラースマイル」
「チャンミン酔ってるのか?」
「まだ大丈夫です」
「だよなぁ」
最近はこうして泊めてもらうこともすっかり慣れてしまったし、お陰で普通に話しているときは口調が多少砕けることもあるけれどさして気にする様子もない。
慣れすぎるのは良くないだろうけど、心地よくてつい甘えてしまうのだ。
そんな気分を変えたのは洗面所に行った時。
以前来た時と様変わりしたその場に焦りにも似た感情が沸いてきた。
これは…あれか。
隠す気もないならそこそこの間柄?
歯ブラシに髪止めとか。
いや、別にユノさんに彼女が出来るのは全然いいことだと思うけど。
「チャンミン。タオル…」
ひょっこりと入り口から顔を出したユノがチャンミンの様子に目を瞬かせた。
ターバンで前髪を上げて、歯ブラシを持ったまま腕を組んで難しい顔をしていればそれもそうだろう。
チャンミンをマジマジと観て、少しずれた眼鏡を押し上げたユノが洗面台を観てため息を吐く。
「あー…。ごめんなー邪魔?」
「いえ、邪魔とかでは…」
「一昨日、妹が来てて全部置いて行ったんだよー」
「妹さん?」
「うん」
「…てっきり彼女でもできたのかと」
チャンミンの言葉に何故かユノが豪快に笑う。
「それ、妹にも言われた!チャンミンの食器増えてたからさぁ。それでチャンミンのだって言ったらそれなら大丈夫かって置いていった」
なるほど、妹さんか。
「ユノさんの妹さんなら美人でしょうね」
「可愛いよ」
「…彼氏になる人大変そうだな」
「俺が認めたやつじゃないとダメ」
「それは厳しい」
そう言って笑うとユノの顔が近くに来て思わず後退った。
「近いです」
「あ。ごめん」
眼鏡をかけていても見えにくいのか、それとも普通に人との距離が近いのか…。
そんなことを考えていると、妹の私物を戸棚に仕舞ったユノが少し首を傾げるようにして言う。
「でもチャンミンなら考えてもいいかなぁ」
「褒めてくれてます?」
「最上級に」
人懐こい笑顔はこのドラマの撮影が始まってから知ったものだけれど、綺麗でカッコいいユノとは違って可愛い。
この人の妹ならやっぱり綺麗で可愛くて魅力的なんだろうなとは思うけれど、それならユノの方がいい。
「…ん?」
「どしたー?」
「いえ、何でもないです」
ユノの方がいいってなんだ?
一瞬自分の思考をかすめた言葉に引っかかる。
いや、言葉のあやってやつだ。
そんなことを繰り返し考えて、ほとんど眠れないままに朝を迎えて。
なんとなく結論を見付けてしまったチャンミンは「マジか…」と一言呟いた。