記録的な暑さだった夏も終わり、ようやく秋らしくなってきた10月のある日。
世界大会で優勝したバリスタとパティシエのお陰で繁華街から少し離れているにも関わらず、そこそこの人気店であるカフェ「Paio」では毎朝恒例の光景が繰り広げられている。
このカフェが入っているマンションに住む作家と編集が朝食を摂る光景。
最近は毎日ではないもののそこにもう一人加わった。
「うーっす…」
眠たそうに入ってきた青年にオーナーのジョンスが微笑む。
「はい、おはよう。今仕事終わり?」
いつもより少し遅い時間だと時計を確認するジョンスはそのままカウンター内に向かうとグラスに氷を入れる。
この男は暑かろうが寒かろうがアイスコーヒーを注文するのが常だ。
それをシウォンに手渡すと彼は心得た様にそこにドリップしたコーヒーを注ぐ。
最近増えた一人。
キム・ヒチョル。
ジョンスの同居人で彼のラテアートに多大なる影響を与えた人物。
ここから徒歩で10分とかからない場所にバーを出店した彼は、仕事終わりにここに寄って帰ることが多い。
「お疲れさん」
カウンター席の端っこに落ち着いた彼の前にアイスコーヒーを置く。
「サンキュー…」
と返事と共に突っ伏した彼の肩を軽く叩いてジョンスは苦笑いした。
「今日はやけにお疲れだね、ヒチョラ」
「だよ。面倒な客に捕まった。まぁ出禁にしてやったけどな」
ふっふっふっと不敵な笑い声と共に顔を上げたヒチョルがキュヒョンの皿を指差して「俺もアレ食いたい」と久しぶりに食事を所望する。
「ヒョン食べる!? すぐ作るねー」
ドンヘが嬉しそうに厨房に向かうのをキュヒョンとヒョクチェが面白そうに見送った。
ヒチョルが朝食を摂るのは珍しい。
甘いものが苦手な彼に自分の作ったものを食べて貰える機会があまりないドンヘはこの時とばかりに用意する。
それでもまだドンヘのつくるドルチェはヒチョルの口に入っている方ではあるのだけれど。
「で、今日は何があったんだよ?」
ヒチョルの横に座ったジョンスが顔を覗き込むようにして訊ねる。
「…んー…まぁ、大したことじゃねぇしお前の顔観たら落ちついた」
「それならいいんだけど」
どちらともがなんてことないように会話を終えるとヒチョルはドンヘが運んできた朝食を食べ始め、ジョンスは客の引いたテーブルを片付けにかかる。
コーヒーカップを棚に並べながらシウォンが
「相変わらずの夫婦感だなぁ」
とつぶやいたのに全員が頷いた。
たいした会話をしなくてもなんとなく通じている雰囲気。
それなのに、とてつもなくつまらないことで大喧嘩をする。
先日なんて店内で堂々と繰り広げられた喧嘩の原因はプリンだったのだ。
「そもそもあれだけタイプが違うのにどうして付き合うようになったんだろう」
キュヒョンが首を傾げると、同じように首を傾げたドンヘがにっこりと笑った。
「聞けば解るじゃん」
「は?」
彼の言葉を理解するのにかかった時間。
たったの一瞬。
その一瞬の隙にドンヘはヒチョルの方に歩いて行く。
「え。嘘だろ! 待て、ドンヘ!」
慌てるヒョクチェにも止める時間もなく、その言葉にかぶせるかのようにドンヘは無邪気にヒチョルに問う。
「ヒチョリヒョンいつからヒョンのこと好きだったの?」
ベーグルサンドを咀嚼しながら眉を寄せたヒチョルはアイスコーヒーを飲む。
「知らね。いつのまにか?」
「えー。そりゃあ、その瞬間ってわからなくても自覚あったのいつなの?」
「…高校の時に同じサッカー部だったんだよ」
「え!? そんな前から!? ヒチョリヒョン意外に一途」
「意外ってなんだ、こら」
軽く足を蹴られたドンへが笑いながら「やめてよ」と文句を言っているのを見てジョンスが「ドンへはヒチョルに気に入られてるよねぇ」としみじみ言うのにヒョクチェは心の中で突っ込んでいた。
「そんなに聞きたいなら話してあげるよー?」
ジョンスがキュヒョンの肩を叩いてそう言った。
「ヒョンが?」
「うん。ヒチョラに喋らせて好き勝手に語られたらたまったものじゃない」
☆・☆・☆・☆・☆・☆
高校に入学してサッカー部に入った。
理由は多分「もてたいから」
思春期の男子なんて大体そんなものだろう。
勿論真剣にサッカーというスポーツに取り組んでいる者も居ただろうが。
そこに入って来たのは一見「チャラい」同級生。
感情表現がとても豊かで気が付けばいつでも周りには人が集まっていた。
対して自分は型からはみ出るようなことはしない…というよりは出来ない人間で。
絶対に相容れないタイプだと思っていたのに。
「ジョンス―」
「何だよっ!?」
「じゃーんけーん…」
「!?」
いきなりの展開に頭はついていかないが持ち前の反射神経が災いした。
「よっしゃー。お前の負け。俺焼きそばパンなー」
「ふざけるなよ」
「本気。5分以内。一秒でも遅れたらチューすんぞ」
「意味わかんねぇよ、バカっ!」
ヒチョルは日々この調子で絡んでくる。
何が楽しいのか。
いや、ただのパシリ扱いなのか。
「ふざけんなぁぁぁぁぁっ!!」
そう叫びつつダッシュで売店に向かうジョンスの背中を見てクラブの仲間は
「お前、相変わらずジョンスいじめに花咲かせてるな」
と苦笑いするしかない。
「別に苛めてなんてないだろ」
本気の言葉を理解できる人間はいないだろう。
理不尽だ。
走りながらそう思う。
黒山の人だかりができている場所に突っ込んで、パンをゲットすると戦利品を手にして階段を駆け上がる。
ドアを開けると青い空の下でヒチョルがパンを銜えて手招きをしていた。
「…ほら」
「ごくろーさん。お前、メシは?」
「弁当ある」
手に持った包みを掲げるとニッと笑ったヒチョルがこちらに何かを突き出した。
「じゃあ、これ、やる」
渡された紙袋の中はメロンパン。
「お前さぁ、あるなら買いに行かせるなよ」
「これだけじゃ足りねぇし。焼きそばパン食いたかったし。そもそも甘いの嫌いだしな」
「本当に意味わからないんだけど」
弁当だけでは部活まで持たないので正直ありがたい。
何気に自分の好きな物だし。
理不尽な事を理不尽に人に押し付けておきながら結局こうしてあやふやにされてしまうのだ。
「んん?」
なぜだか、どこかでこういうのを見たことがあるような気がする。
微妙に引っかかるがその辺りは気にしないことにした。
ヒチョルの事で自分が何かを考える時間がもったいない。
弁当を食べ始めたジョンスを面白そうに見ているヒチョルにも気付かないふりをすること決める。
やっぱり彼と自分は全く合わない。
それでも何故か一緒にいる。
居心地は悪くはないのだ。
「パク・ジョンス」
呼び止めたのはヒチョルと付き合っている女子だ。
確か、そうだったと思う。
いきなり呼び捨てか。
「何?」
「これ、ヒチョルに渡しておいて」
胸に紙袋を押し付けられた。
「自分で渡せばいいじゃないか」
「もう顔合わせることもないと思うし」
「え?喧嘩でもした?」
「別れた」
「は?」
「別れたって言ってるの。サッカー部の話ばっかりだし。なんだか意地悪だし」
小学生のいい訳みたいな内容だな。
まぁ、外見はいいから連れて歩くにはいいとか思ってたタイプかもな。
「…悪気はないと思うけど」
ああ。俺ってなんていいやつ。
でも本当に悪気はないと思うんだよな。
ほら、ヒチョルって好きな子ほど苛めたくなるタイプ?
子供かよ、あいつ。
それに付き合ってやってる俺ってやっぱりいいやつだよな。
「とにかく、渡しておいて」
ぎゅっと押し付けられた紙袋を受け取ったジョンスは今現在とんでもない地雷を踏んだことに気が付いた。
どこかで見たと思っていたのはコレだ。
ヒチョルは好きな人間ほど苛めたくなるタイプ。
いや、ただ苛めているという訳でもなく結局最後には相手の怒りを感じさせない優しさとか気配りがあったりする。
それなら最初から苛めなきゃいいのに。
「あれ?」
まさに嵌っていないか?
「いや、まさか…なぁ」
あははは、乾いた笑いをこぼしてジョンスは紙袋に視線をおとした。
「まさか、なぁ?」
本当にもういい加減にして欲しい。
ジョンスは不機嫌そのものの顔でヒチョルの荷物を持っている。
「ヒチョラ!」
「なんだよ」
「だから、なんだじゃない! 自分の荷物くらい持てよ」
「仕方ないだろ。お前がじゃんけん負けたんだから」
しれっと言い返されてついムキになった。
「お前、そんなに俺が好きなの?」
「はぁ?」
「好きだから苛めるんだろ」
「…今更?出来なきゃチューするぞって言ってるのに、お前全部クリアするからついついなぁ」
「そんなにしたいか」
「そりゃあ。俺がどれだけお前の事好きだと思ってんだ」
少しだけ安心したようなヒチョルの表情に、その言葉にうそが無い事を知る。
しかし口から出た言葉は別の言葉だ。
自分もなかなかの天邪鬼らしい。
「…ヒチョルの言うことなんて信じないぞ、くそーっ」
「なんでだよ!」
「それも苛めだ、絶対そうに決まってる」
そう言ってジョンスが笑う。
その笑顔でヒチョルもジョンスがちゃんと理解したことを察したようだ。
「本当だよ」
「それなら、これから何年かかっても俺を納得させろよ、ヒチョル」
☆・☆・☆・☆・☆・☆
「と、まぁ、こんな感じで」
「自業自得とはいえ苦労するねヒチョリヒョン」
「ほっとけ」
残っていたコーヒーを飲んだヒチョルが拗ねた様にそう言う。
それでも今はお互いに「理解している」のか「理解していない」のかは分からないけれど一緒に居るのだからお互いに「好き」ではあるのだろう。
自分にも理解できない、これぞナンセンス。
絶対好きにならないと思っていた君が何故か好き。
多分世の中にはそんなナンセンスが溢れているのだ。