20時を半時間ほど過ぎた頃。
店のドアに「closed」のプレートを下げたpaioの店内にはテーブル席に座って頬杖をつくヒョクチェの姿。
そのテーブルにエスプレッソを運んできたシウォンが彼の横に座る。
「今日は仕事もういいのか?」
「うん。さすがに無理ならここに居ない」
「ならいいんだけど」
奥から着替えたジョンスが現れて二人の前に座る。
「いつもごめんね、ヒョク」
「全然。楽しみにしてきてるし」
厨房から両手に皿を持ったドンヘがそこに加わる。
シウォンとジョンスの前に一つ。
ヒョクチェの前に一つ。
同じ物を置く。
「はい、オレンジキャラメルソースのセミフレッド」
ドンヘはそう言ってにっこりと笑った。
季節も変わろうとし始めたこの頃。
注文されるコーヒーもアイスのオーダーがちらほらと増え始めた。
それをうけてドンヘは夏向きのドルチェを試作したのだ。
セミフレッドはイタリアでは一般的なドルチェではあるけれど、こちらではまだあまり馴染みがない。
生クリームをホイップして冷やして固めただけのシンプルなものだ。
アイスよりもふんわりと軽い食感も夏向きだろう。
セミフレッドの上にコンポートされたオレンジの輪切り。
その上からオレンジキャラメルのソースがかけられた目にも爽やかなドルチェだ。
「夏らしいね」
シウォンがそう言う横でヒョクチェが崩したセミフレッドにソースを絡めて口に入れる。
じっとヒョクチェを見ていたドンヘがホッと息を吐いた。
「…よかった。合格だ」
ドンへの言葉に彼は首を傾げる。
「俺、まだ何も言ってないけど」
「でも、合格だろ?」
「…ん。まぁ、美味いけど」
「ヒョク、これかなり好きでしょ?」
「…だから、なんで…」
「だってさっき食べた時、ヒョクすごく可愛い顔してたから!」
「かっ…!はぁ!?」
ワタワタと一人慌て始めるヒョクチェにシウォンは口元を隠して笑う。
ジョンスは楽しそうにその様子を眺めていて、ドンヘはドンヘでヘロリと笑顔をつくる。
セミフレッドを口に入れたヒョクチェはフォークを銜えたまま、両の口角を少し上げて目を細めた。
それだけでドンヘはヒョクチェが合格点を出したのを確信したのだ。
店に出すかどうかの判定は二人にかかっているけれど、正直ドンヘはヒョクチェからの合格点さえあればいい。
シウォンとジョンスも同じ皿から掬ったセミフレッドを口に入れた。
「これアイスなの?ケーキなの?」
「ホイップクリームを冷やし固めてる。ちょっとヨーグルトも入れたけど」
「これ、ソース美味い」
「いいね。これなら男性にも薦めやすそうだ」
どうやら二人からも合格点を貰えたらしい。
少しばかり居心地悪そうに、それでも綺麗に食べきったヒョクチェはエスプレッソを一口飲んで、ドンヘに空の皿を押し付ける。
「美味かった」
「うん。当然」
「…当然ねぇ」
「忘れてるようだから言っておくけど、俺ちゃんと大会優勝者だからね」
「…フォレ・ノワール」
チョコレートのスポンジにキルシュの風味を効かせ、ホイップクリームとコンポートしたチェリーとチョコレートでデコレーションされたケーキは、最近の彼のお気に入りだ。
「まだ食べるのかよ」
「食うよ。はい、持ってきて」
それでも楽しそうに空いた皿を引いて、厨房に向かうドンへの背中にヒョクチェは手を振って、姿が見えなくなるとテーブルに突っ伏した。
「あいつ…ほんと天然たらし」
「そう?ヒョクにはあんなものでしょ?」
こちらはまだ二人でセミフレッドをつつきながら、ジョンスが頬杖をついて微笑む。
「ドンへって本当にお前のこと好きなんだな」
「だと思う」
ヒョクチェの意外な言葉にシウォンは思わずまじまじとその顔を見つめた。
「なんだよ。それくらいわかってるよ」
「それであの態度なわけ?」
「だから、だろ。本気なのわかってるのに曖昧な返事出来ないよ。それより、シウォナこそ。先生とすげぇ仲良くなってんじゃん」
「そうなのかなぁ」
はぁ?と疑問を表情にしてヒョクチェは首を傾げる。
「何、その自信のない返事?」
「なんだろう…キュヒョナって一線置いてる気がする」
「そうか?」
「そうだよ」
ふっと笑ってジョンスがシウォンの顔を覗きこむ。
「シウォナ、キュヒョナのこと好きだろ?」
「もちろん」
「…わかってないな。ドンへがヒョクのこと好きってのと同じように好きだろって聞いてるの」
ドンへと同じ?
見ている限りではドンへがヒョクチェを「好き」の「好き」は、多分友情も含まれているだろうけれど純粋に「恋愛感情」に近い気がする。
ポカンと口を開けたまま固まったシウォンを呆れたように見て
「あーぁ。自覚なかったのかよ?」
「え?えー?」
シウォンの背中をバンバン叩いてヒョクチェは笑う。
「自分のことって意外とわからないっていうけど、酷いな、お前。あれだけだだ漏れなのに」
「いや、だって…えぇ?」
頭を抱え込んだシウォンにヒョクチェはにやりと笑う。
言われてみれば。
確かにキュヒョンに対する感情は「恋愛感情」に近いかもしれない。
最初は「憧れ」とか「尊敬」とかに近い気持ちだったはずだ。
けれど、朝食を摂るためにPaioに通い始めたキュヒョンの表情や話し方、その声。
そのすべてがシウォンを魅了した。
毎日見て居たいと思うほどに。
「ヒョクぅぅぅ」
「…あー。なんか…ごめん?」
いきなり自覚してしまった。
それはそれで性質が悪い。
この感情にどう折り合いをつけるべきなんだろう。
「…どうした、シウォナ」
フォレ・ノアールを綺麗に飾り付けた皿を持って戻ってきたドンヘが頭を抱える同僚に声をかけるけれど、返事はその前に座っていたジョンスからだ。
「恋しちゃってるんだよ」
「…何、今更。そんなのみんな知ってるだろ」
「だよなぁ」
本人以外が知ってるってどうなんだ。
シウォンは更に頭を抱えて、その横でヒョクチェは涼しい顔でケーキを食べ始める。
ドンヘは相変わらずそれを幸せそうに眺めて。
ジョンスは何かを思い出すように微笑んだ。