どうも3日坊主で続かないだろうとわかっていながら始めたブログも

やはり続いてない…

 

精神的に、そして身体面でも体調グタグタだった10月を超えて

なんとか落ち着いた日々が戻ってきた気がしています。

 

お世話になっている精神科の先生に、まだうつ病ではないと言われました。

精神的に落ち込んでる日が続いていると、私的には限界突破して

叫んで走り回ってやろうかとおもう程度には辛いのですが

 

まあ、飛んできてくれる恋人いなければ、心配かけたい友人なんて

いないじゃないですか。家族にも言ってないし。

そもそも、どんな風に辛いの?って聞かれたら

 

「とにかくやる気がおきない」

 

って答えるんですけど、「みんなそうだよね」って言われてしまうんですよ。

 

 

いや、友人や上司が悪いわけではなくて多分、自分も反対の立場ならそう思ってしまう。

もっと言えば、=みんなそうなのに打ち勝てない自分なんだなともっと沈む。

 

この場合のやる気の起きなさは、仕事、家事とかではなくて遊び、食事、ベットの上で動画を漁り見る行為ですら出来ない。

なかなか朝起きられない人間を起こすのってお互い難しいじゃないですか。

あれを自分一人でやってる感覚。起こすのも、起こされるのも、自分。

自分の中に全く起きてくれない自分がもう一人いる感じ。

 

気分良く1日を終えられても、夜寝る前に携帯を置いて眠りにつく瞬間が一番怖い。

明日自分がどうなっているのかわからないから、また動けないかもしれない。

この気分変動と環境が変わっても一生付き合っていくのかもしれない。

プラスティックの板の上にもう一人の自分が乗っかってベット上の自分をギューって推してくる、息苦しくてそのまま死んでしまうのではないかくらいに。死なないけど。

ってかこんなきつくて死ねないの不利だな?とすら思ったり。

とかなんとか考えて睡眠薬が手放せずにいます。

 

と、先生に言われた例の言葉に戻ってみると、「これが例の鬱ってやつでなけば

うつ病や統合失調って相当きつい。」

 

私は違いますと言われて、

ならば、いつか抜けだせますよっていわれている気にもなれるし、病気でもなんでもないのにここで何してるんですか?努力が足りませんって言われているきにもなってしまうのです。病気でなければ、ネガティブな自分の性格…あぁ、そうですか…。みたいな。

 

月に1回の受診がいつまで続くのか、この気分変動がいつ鳴り止んでくれるのか

環境が変わってもこのままなのではないか。

 

明日やるドラマを楽しみにいきるとかでかまわないのにな。

 

いきているだけでほめられたいですよね。

 

 

 

 

 

念願の21世紀の女の子を見に行くことができました。

 

孤独は誰かと一緒にいることを知ってこそ感じるものなのだと

ダイナーを見たときにも思ったなあと。

 

彼女たちが描きたい世界と、映したいものを目の当たりにできる今に

24歳の女の子であることを、生まれてきたことにすら感謝しながら

拍手した。

 

山戸結希監督は、やはり紡ぐ一言一言が哲学のようで

私にとって薄い朝モヤの中の様だといつも感じる。

 

DVD購入者へサインをしてくださったのだけれど、

 

私が彼女の眼差し中にいること、私の言葉が彼女の中に向かう喜びと恐怖を体感し

涙が止まらなかった。

私が精一杯笑いながら泣いているときに、

「素敵な声ですね、ひとつの楽器ですね、恋人は嬉しいでしょうね。

頭の中でその声でお手紙を再生しますね。」と笑いながら私の手をにぎった。

 

持っていたペンを机におき、握りしめて下さった手は心地良い冷たさで。

 

きっと、彼女の映像、言葉、瞬間に、私は生きる糧すらも置きながら

甘えて、寄りかかって、一種の依存の様な形で生き喜ぶのだろうと思った。

 

11月30日のトークイベントにもその空気に触れられることに喜びながら

楽しみにしているところ…。

 

 

 

 

 

 

愛されていなかったなんて思ってない。

ごめんなさいってちゃんと思ってる。

私じゃないキミの、気持ちが少しわかるからこそ

吐き出すにつながるまでに飲み込んだ言葉が涙であふれてくるね。

 

 

大号泣。アソンちゃん、ヒャンギちゃん、違う作品でもみてたけどやはり…。

ああ、こうだった。って思い出した。

小さなSOSなんて、気づいてもらえなかった。

暴れるほど、心配をかけたくもなかった。

気づいて欲しかった。その最大が、息を殺して死ぬことだったんだきっと。